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包んで、開いて


 荘園は世界を小さく凝縮したような場所である。万国博覧会がイギリスを始めとして開催されるようになって久しいが、これほどまでに国際色豊かな場所は交易都市でもなければそうそうお目にかからないだろう。暗黒大陸とも呼ばれていたアメリカ大陸からのカウボーイ、海峡を隔てた先のフランス、イタリア、もちろんイギリスもあれば遥かな国アフリカまである。そうして洋の東西を問わずといえばもちろんアジアも含まれるわけで、ネパールという耳慣れない場所からやってきたナワーブ・サベダーはちょっとした東洋の神秘だった。

まろやかな渓谷を思わせる顔の輪郭、年齢不詳の穏やかな顔立ち。もちろん彼は傭兵であったというからには厳しくかさついた、人生の潤いや楽しみをどこかに置いてきてしまった風があるのだけれども、あどけなさは拭えない。むしろかえってその厳しさはアジアの秘境にいる行者を彷彿とさせた。そうして宝石のように美しい瞳が夜の星のように瞬く。こうあげつらえばよく見ているものよと称されるように、クリーチャー・ピアソンは嫌という程ナワーブを見ていたし、否応無しに魅せられていた。目が、吸い寄せられるのだ。

「何見てんの」
「料理本さ。東インド会社から新本が出たんだ」

その神秘的な顔はひょこりと近づいたかと思うと、東インド会社という単語に思い切りしかめっ面を作った。それをなだめるように頭を撫でてやると、子ども扱いをするなとほころぶ。稚気溢れる様子が可愛くてたまらないと言ったならばまたぞろ怒るだろう。この本を手に入れたのは彼のためなのだが、クリーチャーは伝えるつもりがなかった。かさついた青年の心が、少しずつ潤いを取り戻して懐いてきたというのに、変に距離を縮めて警戒されては困る。目下、クリーチャーはこの野犬を飼い慣らそうと努力している真っ最中だった。

「この前出したケジャリーはどうだった?」
「ちょっと塩っぱかったけど、美味しかったよ。少し、懐かしい感じがしたし。……あれって、ピアソンさんが作ったの」
「さあな」
「ちぇ」

気に入ったならば良かった、とクリーチャーは頬を緩めた。このところ、食事当番に当たろうが当たるまいがなにがしかを作ることが増えている。各人の故郷の味を口にすることは楽しいーーだが、可愛がりたい相手のものはできるだけ多く与えてやりたかった。意外なことにウィラ・ナイエルとパトリシア・ドーヴァルにはこの気持ちがバレてしまっていて、さりげなく情報を共有されている。てっきり敬遠されるのではないかと思われるクリーチャーの好意ーーあるいは恋かもしれないーーは、ナワーブに良い影響を与えていると判断されたのだ。実際、ナワーブは他人と口を聞き、冗談を話し、笑って怒って協力して動くことができるようになってきている。単に本来の性格を取り戻したのだろう。クリーチャーのおかげ、というのはピンとこなかったが、好都合なので黙っておくことにした。

 本を抱えて厨房に向かうと、後ろから雛鳥のようにナワーブがついてくる。食べ物の気配を感じ取った子犬のようなもので、自分目当てではない。そうでなければ平静を保てなくなってしまう。ドキドキと高鳴る胸を叱咤すると、クリーチャーは必要な素材を一つ一つ取り出した。ジャガイモに玉ねぎにグリーンピース、昨日届いた羊のひき肉をちょっと拝借するとしよう。まずは野菜の下ごしらえからだ。

「何を作るの?」
「内緒だ。できたらみんなに配るから、外に出てると良い」
「俺も手伝うよ。野菜の皮むきが上手だって、この前褒めてくれたよね」
「助かるな。君は私より上手いから」

急な申し出に胸が跳ねるも、クリーチャーはぎゅっとこらえて頬が緩むのを阻止した。ジャガイモを渡して皮むきと切り分けを依頼する。その間に玉ねぎをみじん切りにするのだ。ナワーブの住む地方で食べられているかはわからないが、今から作るものは広くインドの辺りで食されていると聞く。ひょっとすると彼は喜んでくれるかもしれない。たとえナワーブが喜ばなくても、ウィリアム・エリスを筆頭とした欠食児童たちが目を輝かせて食べてくれるだろう。美味しい美味しいと食べる人の顔がクリーチャーは好きだった。食べ物がある。それだけで幸せなのに、美味しいだなんて贅沢ではないか。

「できたよ」
「ありがとさん。相変わらず綺麗だな。それじゃ、茹でておいてもらえるか?」
「了解」

へにゃりとナワーブのくちびるが動く様を見るのは嬉しかった。胸の中にポッと光が灯って暖かくなるような心地がする。香辛料を取り出すと、クリーチャーは大きめのフライパンを取り出して火にかけ始めた。ここからが本番で、本によればいかに味付けをうまくするかに全てがかかっているらしい。食べたことのないものについてうまくもうまくないもあるのかと不安にも思うが、クリーチャーは極めて迷いのない風を装うことにした。虚勢をはるのは得意技で、ナワーブ程度を騙すなど簡単だとさえ思う。

 そうして野菜たちが全て柔らかく炒められて混じり合う頃には、厨房はすっかりエスニックな香りに包まれていた。心なし、ナワーブの目元が懐かしむようなものに見える。傍で支度していた、包み込むための生地の様子を見ればこちらは準備万端らしい。綿棒を取り出してくるくると伸ばし、切り、手のひらよりも少し大きく一枚一枚を作り出すと、ナワーブも見よう見まねで手伝い始める。まるで親子だ。そう、彼はおそらく自分よりもよほど若いのだ、と改めて感じてクリーチャーは眉を八の字にした。この気持ちは包み込んで出さない方が良い。自分の中でさえ消化しきれていないのだ。彼を手懐けて可愛がりたい、その先は?孤児相手とは訳が違う。

作り上げた生地に先ほど支度した野菜たちを詰め込む。クロケットにも似ているが、香り立つものはまるで異国の波止場を思わせた。ナワーブもまた、そうした遥か遠くの香りがする。異世界への憧れのようなものを感じて、クリーチャーはそれも一緒に包み込んだ。サモサ、というこの料理の不思議な名前は三角形という意味の異国の言葉が訛ったものだと書かれていた。手のひらで次々と作り上げられる三角形はどこかいびつで愛しい。ナワーブが黙って三角形を形作り、記事をうまく閉じられずに苦戦する。具を欲張って多く入れすぎているのだ。スプーンを差し出して中身を減らしてやると、目だけで感謝の意が伝えられる。黙っていても尚暖かで柔らかな空気をいつまでも味わえたら、とクリーチャーは揚げ油を準備し始めた。ここまで来たらば、どうやらナワーブは答えがわかったらしい。

「サモサ?」
「知ってたのか」
「昔食べたことがあったんだ……ねえ、ピアソンさん」
「うん?」
「これ、俺のために作ってくれたんだよね」

強い断定が込められた台詞が胸を穿つ。そうだ、とも違う、とも言えずにクリーチャーは三角形を揚げ始めた。揚げ物は得意だ、フィッシュアンドチップスの出店でも始めようかと冗談を言った日さえある。ジュッと爆ぜる音と共にこの気持ちも消化されてくれたなら、あるいは。

「俺はね、ピアソンさん」
「今度はなんだ」
「料理の手伝いなんてしないんだよーーあんただけは、別だけど」
「な、」
「だからさ、答えを教えてよ」

サモサがきつね色になる。一つ、また一つとこの世に完璧な姿を形作ってお皿の上へ。ならば閉じこめられた気持ちも整うだろうか。ここに二つの国が出会う。油の熱さだけではなく頬を染めると、クリーチャーはそっと出来立てをナワーブに手渡した。

〆.