1、2、3、4、はいどうぞ!
SMACK!
恋人という人はやたらと口寂しいお年頃らしい。らしい、というのは他に比較対象がないので断言できないからだ。クリーチャー・ピアソンは頬をすり合わせてくるナワーブ・サベダーの頭を優しく撫でながら、施設で可愛がっていた犬のことを思い出していた。自分よりも若い肌は戦場に揉まれていたせいでいささかざらついているが、こうして擦り合わせると自分よりも水気を多く含んでいることが伝わってくる。かつて、こんな風に触れ合ってくるのは犬くらいなものだった。
一応それなりの年数を生きている中で、他人の肌を知らないわけではない。だが本当に温もりを知っていたかは今となっては疑問で、ただの傷の舐め合いか、ひもじさを紛らわせていただけのようにも思われた。少なくとも、今のクリーチャーにとってはナワーブという相手は実に最高だった。最良ならばそれで良い。ぼんやりレモンジュースを飲みながらポーチで風に吹かれることがこんなにも気持ち良い。
視線の先では、ウィリアム・エリスがトレイシー・レズニックに機械人形の操作方法を習っていた。先日のダブルハントで操作方法がわからず、喜んで弄っていたら肝心の役割をすっかり忘れてしまった少年に指導するという流れである。幸いにして他にも少年のわくわく感を残した大きな男たちが揃ってご鞭撻いただきたいと続々と現れたので、当初の予想以上に有意義な時間となっているようだ。なべてあの鉄の体は少年心をくすぐるらしい。小さなトレイシーがリモコン片手に講義する様はなかなか様になっていた。
「ピアソンさん」
「ん」
ちゅ、と頬に口付けられてクリーチャーは間抜けな鼻声を出した。取り乱さないことを褒めて欲しい。ここがどこだと思う?ポーチだ。そうとも、荘園のみんながたむろしている公共の場ではないか。現にフィオナ・ジルマンがおやおやと目を細めている。この臆面もなくどこでも展開されるナワーブの愛は確かにクリーチャーの喜びではある。だが、どこでもされることを堂々と受け止めるにはいささか人間性を失わずにはいられなかった。
「ナワーブ君」
「なに、ピアソンさん」
「レモンジュースのおかわりはいらないか?」
「いらない」
「そうか」
うまくよそに誘導しようとする試みは速やかに封殺された。ついでにもう一度頬に口付けられ、唇にも啄ばむようにされる。こうした時、クリーチャーはうまい拒み方を知らない。いなしかたとでもいうべきか。それに、自分からすることはどうにも気恥ずかしくもあってなかなか手が伸びないでいる分、受け取れるものは受け取りたいという欲望だけは育っている。その分だけクリーチャーはベッドの上では可能な限り素直でいようという腹づもりで応えているのだが、果たして伝わっているかどうかは謎のままだ。
ただ、間違いなくクリーチャーはこの心くすぐられる恋人にちょっとした悩みを抱いている。レモンジュースの残りひとしずくを飲み干すと、クリーチャーはおかわりを取りに行くと言って席を立った。椅子から立つと、ほんの束の間の離別が苦しいとでもいうように腰を抱かれ、ぎゅっと腹にナワーブの頭が擦り付けられる。にやけそうになる顔をぎゅっと引き締めながら、クリーチャーは投げキスをよこすエミリー・ダイアーにいーっと威嚇して見せた。
愛されることが下手で、愛することも不器用だ。それが、ナワーブ・サベダーによるクリーチャー・ピアソン評である。彗星にぶち当たるのと同じくらいの確率で出会い、お付き合いを始めたナワーブの胸の中には小さな家ができていた。安心のできる拠り所とでも言おうか、思い浮かべるだけで勇気がわくし、実際そばにいれば離れがたいほどに自分という存在にぴったり当てはまる。故郷から持ち出して戦場で失った穴がふさがっていく気がするのだ。いびつな円を描くような行為はナワーブに生きている実感を与えてくれる。
どちらからとでもなしに恋に落ちていった日は今でもありありと覚えている。場所は月の河公園のジェットコースターで、ハンターを振り切って乗り込んだ瞬間にナワーブは確信して叫んだのだ。あんたのことを愛してる!そしてクリーチャーはなんだよそれ、と笑いながら俺も愛しているから忘れるなよ、などと咆哮を上げたのである。忘れるはずもなく、二人はゲートから出た後ゲラゲラ笑って恋人になった。翌朝もしっかり素面で眼差しを絡めあって確認したことが決定打である。
開幕はシャンパンの栓を抜くように快調に進んだのだが、瓶底の澱が揺らぐように気になる部分もままあった。例えば、クリーチャーはキスが下手だ。おそらくは必要だと思って来なかった故に何も学ばなかったのだろう。ベッドの上での様子からして経験が浅いわけではなさそうなので、欲望の道だけ通って愛という道のりを無視した、とはクリーチャーらしい。慈善家とは愛情あふれた人物像を描かれるものだが、クリーチャーが体現する愛とは彼を素通りしていた。だからどこか物悲しく、薄っぺらい。愛を持たずしてどうして愛を説けよう?多分、今のクリーチャーならば前よりもずっと慈善家らしく振る舞えるに違いなかった。本人にその気が本当にあるのかどうかは謎だが。
不器用な口づけを、自分の手ほどきでだんだんと滑らかにしていく楽しみはある。奥手ではない彼の唯一の処女地を手に入れたのだ、ナワーブは天にも舞い上がる心地だった。覚えていて欲しいので、何度でもするし、慣れて欲しいのでどこででも口付けた。後者は半分自分の甘えでもあり、そんなナワーブに対してクリーチャーが余裕をにじませる瞬間が好きだからでもある。第一、クリーチャーは他人を世話することが好きなので、恋人に自分の手を差し出す隙間があれば一層構うはずだ。傭兵時代の契約交渉で培った心理戦は意外なところで活きている。
とはいえ、だ。恥ずかしがるものの受け入れるまでは良い。しかしちっともクリーチャーの方から口付けてくれないのはいかがなものだろう。振り向きざまに手を掴んだり、肘に触れたりして誘う真似は平気でするくせに、なぜだか唇は乾いている。テニスボールを壁にぶつけて遊びながら、ナワーブはむうと表情を歪めた。自分の技巧にはそれなりに自信があった。クリーチャーだってとても気持ち良さそうだから、及第点であると信じたい。何がいけないのだろう。考えに考え込んで、それでも良い案は出ずじまいだ。
行動で示すことが全てとは言わない。そんな青臭いことを言うほど揺らぎはしないが、ただ少し寂しく思うのだ。ほんの少しだけ欲張りたい。ささやかだが、これくらいは許して欲しいと思っても良いだろう。だって、口付けた後の彼は少し難しそうな表情を浮かべることはあれども嬉しそうなのだから。
「押すばっかりが愛じゃないってことだろ。ありゃお前の勢いにびびってるんだ。あのおっさんは慣れてなさそうだしな」
「そんなに嫌そうに見えてたのか」
「あー……どっちかと言うと、困ってる感じだったよ。どうしたら良いのかわからないし、そりゃ恥ずかしいだろうしさ」
自分の脳みそで用が足りなければ他人の脳みそを借りるに尽きる。よってナワーブは素直に人を公然と口説くことで右に出るもののないカヴィン・アユソに相談することにした。暖炉の前でマデイラワインを揺すって飲むのはなかなか優雅で楽しい。炎を見ると安心するんだ、とカヴィンは目を細めながらも男同士の恋愛に興味はないねと斬って捨てる。それでも結局話を最後まで聞くあたりがこの男の育ちの良さだった。過去、こうして彼は誰かと炎を囲んで眺めたのだろう。瞳はひどく優しく陽光にも似ている。
「逃げ道を全部塞ぐ真似をするのはな、やってるうちは楽しいかもしれないが後で痛い目を見るのは自分の方だ」
「そんなつもりはないけど」
「嘘つけ。見ろよ、ひどい顔をしてるぜ」
カヴィンに手で示され、ナワーブはグラスに映る自分の姿を盗み見た。残酷そうな欲に塗れた男の顔か、愛にすがろうとするものか、子供のように強請るものか、何にしたって自分の求めるものは実にささやかだ。だが、カヴィンはささやかだからこそ丁寧に求める必要があるのだと指南する。一つ一つ積み重ねていくことで、いつか大きなものを願っても手に入りやすくなるのだというカヴィンは知恵者でもあった。
言われてみれば、クリーチャーの反応がいまいちであるのは公共の場でが多い。そしてどこであろうとも強く押すのはナワーブだ。クリーチャーだって積極的になることはあるものの、物足りなさは自分が押し続けているために押し返せなかったということかもしれない。経験者は語るとはなるほどその通りだ。愛することは喜びである。しかしわがままかもしれないが、ナワーブは愛されていることを一身に感じる瞬間が欲しかった。パチリと薪が爆ぜる。たまには火をつけたって許されるだろう。
雲行きがおかしい。クレープ生地のタネを鉄板に落とすと、クリーチャーは手早くコテで円を描き出した。クレープにしか使えないだろう調理器具さえも用意されているなど、つくづく荘園は不思議な場所である。荘園に来てからというもの、料理はクリーチャーの娯楽の一つとなっていた。時間を潰せて、生産的で、自分なりの工夫を凝らすために頭を使い、かつ他者に振る舞えばコミュニケーションの基礎となる。
古来、食事とは争いのない平和な場所であった。同じ鍋から取った食べ物を食べれば、腹を壊すかもしれない危険も美味しさがもたらす幸福も全て分けあえる。そして一つ所で向かい合えば会話が始まるというわけだ。焼きあがったクレープを一枚一枚軽やかにひらりと重ねていく度に横合いからため息が溢れでる。常にクリーチャーの手料理を一番に味わうナワーブが見守っているのだった。
普段であれば焼いてる最中であっても張り付いて、いたずらを仕掛けることもあるナワーブだが今は神妙な面持ちで座るばかりである。今この場だけではない。夜に触れ合う時以外はひどく疎遠だ。あからさまに避けられるわけではなく、当たり前の友人同士のようなわずかな距離を取られている。頬擦りや口付けもなく、腕を絡めることもない。人気のない場所ならば恋しく思うものを与えられず、クリーチャーから手を出せばしっかりと返されるのだから益々不明だ。
クリーチャーは愛し方が下手で、よくわかっていないことを自分自身よく知っていた。そのくせ愛される喜びを知った今は嬉しくてたまらない。愛され方も下手かも知れないが、ナワーブによって少しずつ学んできているつもりだった。こんな時はどうすれば良い?公の場所でされることには常々悩んでいた。今は二人きりだ。それだと言うのにこんなにも二人は遠い。
一通り焼き上げると鉄板の火を落とし、しばしクレープ生地たちの熱が収まるのを待つ。こんな風に愛も冷めるのだろうか。もう一度温めるにはどうしたら良いかと眩暈がしそうになる。やかんに煮出した紅茶をカップに注ぎ入れると、クリーチャーはナワーブの前に置いてやった。自分にも入れて一口飲む。ベルガモットの香りがクリーチャーの気持ちを鎮めてくれる。慌てるな、少なくとも"まだ"冷め切っていやしない。
「ナワーブ君」
「なに」
「……いや、良い」
欲しいものを言い出すうまい滑り出しが見つからず、ただ紅茶ばかりが体に入り込んでいく。以前であれば、ナワーブと静かに座る沈黙さえも甘くとろける様だった。今はただ焦りがにじみ出る。生まれて初めて大衆を前に大ボラをまことしやかに吹聴して以来の緊張感だった。今は慈善家の仮面も被れやしない。ただのクリーチャー・ピアソンは指をもつれさせている。ナワーブはなにを思うだろう。自分といて、つまらなくはないだろうか?
粗熱が取れた頃を見計らい、用意した生クリーム、レモンカード、レモンピールを並べる。表面にレモンカードを塗りつければ、クレープたちはキラキラと輝きだした。見事に着飾ったその姿にふわりと生クリームを盛り付けて包み隠し、レモンピールを散らせば完成だ。以前に本で読んだレシピをクリーチャーなりにアレンジしたもので、恐らくはさっぱりとして暑さを和らげるものになるだろう。
この気持ちもその和らぎへと連れて行って欲しい。ナワーブの唇を見つめて、クリーチャーはその口の端に並ぶギザギザとした縫い目も愛しくてたまらなくなった。頬に触れるとナワーブなのだとひときわ強く感じる歪みで、縫い目の奥にある痛みを乗り越えた彼への尊敬の念が湧く。ケーキを載せた皿を横にずらすと、クリーチャーは生クリームの残ったボウルを引き寄せた。残った淡い夢のようなクリームに指を沈ませてすくい出す。指先の熱でとろけて、元の姿に戻ろうとするそれをナワーブの顔の前にずいと差し出すと、丸く見開かれた目とかち合う。
「勿体無いから舐めてくれないか?」
「ピアソンさんが言うなら」
「嫌なら良いんだぞ」
「うーん」
普段であれば否応無しに乗ってくるのだが、今日のナワーブはやはり調子がおかしいらしい。だいぶ深く悩んだ様子でゆっくりと首を振った。そんなわけはない。きしみ始めた胸の音に顔をしかめると、クリーチャーは濡れた指先を自分の口の中へと入れた。甘く滑らかで、ただ純粋に菓子である。これら全てが毒だったらどれほど良いだろう。拒まれたという一事が頭をぐるぐると渦巻き、クリーチャーはちらりとナワーブを見た。暗闇で獲物を待ち伏せする獣のような目をしている。何を?もちろん、クリーチャーをだ。途端にむくむくと闘争心といたずら心が沸き起こって束の間の絶望を覆い隠す。自分はそんなに脆くはない。自分はこんなところで折れやしない。良い好敵手だ、そうだろう?
「舐めてくれよ。お願いだ」
「それじゃ、喜んで」
物足りそうな表情を浮かべはしたものの、ナワーブを動かすには十分だったようですぐさま指先は生暖かい口内に迎え入れられる。舌で丁寧に舐められると背筋がぞくぞくするが、堪えて抜け出してはクリームをすくう。甘噛みされれば上顎をくすぐってやり返し、指先は器用に踊った。普段自分がされていることをやり返しているような、奇妙な達成感が胸に満ちていく。全てのクリームを平らげた頃には息があがり、クリーチャーはナワーブから逃げ出した自分の指先を布巾で乱暴に拭った。まだ陽は高いというのに心臓がばくばくと高鳴ってやまない。
「じゃ、これを向こうに持っていけば良いかな」
「へ」
突然あっさりと引いていった潮に取り残されて、クリーチャーは打ち上げられたクラゲよりも間抜けな表情を晒した。ナワーブだって呼吸が上がっているくせに、まるで何事もなかったかのように振る舞うのはとんだ裏切りだった。
「だっておやつの時間でしょ?」
「……あ、ああ」
これまでならば、おやつはみんなにくれてやって自分たちは別腹にしておこうなどと言われたものだ。クリーチャーとて気分が盛り上がった今ならば素直に頷ける。ナワーブが唇の端を拭って皿を連れていく。行かないで。
「ナワーブ君、」
今自分は何を口走ろうとした?閉まった扉に舌打ちすると、クリーチャーは拳を天板に打ち付けた。ゴン、という鈍い音と共に自然と顔がしかめられる。痛みは確かに響く。ナワーブと違ってクリーチャーの痛みは直に体へと結ばれているのだ。ナワーブの唇が恋しい。あれほど悩ましかった触れ合いが失われた今となっては体の半分が引き剥がされたかのような痛みにひりついている。
クリーチャーはナワーブを愛しているし、愛したかった。愛されたことは幸せで、ならば欲しがるべきだろう。何やかや言いながらも、結局自分はナワーブに甘えられているようでいて甘えていたのだ。そんな相手はこれまでいなかったのだから、つい耽溺したことには目をつぶっていただきたい。温め直すのならば今だ、とクリーチャーはようやく腹を括った。もう痛いのはごめんだ。
かつてナワーブが自分にしていたこと思い出せば、何をすれば良いかはおおよそ予想がつく。あとは実行に移すだけだった。
押して押して押しまくる戦法できた反動で、引いて引いて待つという状態はナワーブの精神にいささか悪影響を及ぼしていた。目の前にあるというのに食べたいと言う意思表示をしてはならないのである。そばにいれば癖で触れたくなるし、自分の気持ちを汲み取って欲しいというような目をされれば先回りしてやりたくもなる。クリーチャーから自分に仕掛けてくることを望んでいたものの、垂らした糸になかなか反応が得られないとなると焦りが募ってくるというものだ。
自分から手を出さないと決めてかかったことが仇になって、ほんのちょっとしたクリーチャーの仕草にすらときめきを覚えてしまう。生クリームを舐めさせてきた妖さと言ったら!あの夜は全く寝付けなかった。そう、この駆け引きを始めた手前、ナワーブはおいそれと夜のお誘いもかけられなくなってしまっているのである。自分で自分の首を確実にしめている気がするが、あともう少しだけ、とナワーブは自分に言い聞かせていた。たかが口づけ一つを欲しいと願ったばかりに、その代償の何と大きいことか!
今日もポーチの向こうでは道具講義が開催されている。講師はエマ・ウッズで、いかに手早く椅子を壊すか、そしていかに気づかれずに全ての椅子を破壊していくかという内容だ。椅子を壊すことはハンターに知られるので危険性も高いが得られる安全性も高い。間延びした話し方をするエマであっても、表情はいたって真剣そのものだ。ちなみに、ナワーブは自分の役割上おそらく使わないと断じて受講をサボって椅子に座っている。と、受講生の中にクリーチャーが見当たらないことに気づいてナワーブは首を傾げた。エマを信奉する彼が不在とは珍しいこともあるものである。ジンジャーエールをちびちびと飲むと、ナワーブはパチパチと弾ける泡に酔いしれた。天気も良い。けれどもここにクリーチャーはいない。
「お兄さん。ジンジャーエールのおかわりはいかがでしょうか」
「え、あ、ください」
ぼんやりと不在を嘆いている中、後ろからかけられた声に振り向けば、案の定クリーチャーである。綺麗な曲線を描く頭に触れたいが、以前であればいくらでも自然にできていたことができずに拳はなんども開閉する。ナワーブの気持ちをよそに、ジンジャーエールのおかわりをピッチャーからグラスに注いだクリーチャーは、どこか緊張した面持ちで隣の椅子に腰掛けた。
「ナワーブ君。……ちょっとじっとしててくれよ」
「わかった」
「よーし」
即答すると、クリーチャーが一つ深呼吸をしてナワーブの首元を両手で掴む。まさか殺そうと?その気になればクリーチャーを捻りあげることなど簡単とはいえ、ナワーブにはただ混乱だけが広がっていた。そうしてコマ送りのように世界が進んでいく。クリーチャーがおずおずと近づき、薄く唇を開けた。その唇にかじりつきたいと、この朝鮮の最中ナワーブは何度思っただろう。クリーチャーの薄くて、指と異なり不器用そのものの舌先が伸ばされる。そうしてーーそうしてペロ、と生暖かい感触がナワーブの唇をなぞった。世界は爆発し、ナワーブの頭は沸騰してカーニバルが荘園中を練り歩くような騒がしさに満ちていく。一体何が起きたんだ?
様子を伺うような目つきのクリーチャーが、唇を重ねて下手くそな口づけをしてきたのはほんの数秒後のことだった。ちゅ、ちゅ、と生まれて初めて子供がするような素朴さと熱心さでナワーブに口づけの雨が降る。その度に体が弾け飛び、ナワーブは肘当て同様に飛んで行ってしまいそうになった。いくら欲しかったとはいえ、あまりにも長く待ちわびていた甘露は理解の範疇を大幅に超えている。かろうじて腕を動かすと、ナワーブはぐいとクリーチャーを引き寄せて受け入れる姿勢を見せた。言葉など一つも出てこない。ここはどこだ?ポーチだ!公衆の面前で、確か視界の端でイソップ・カールが悪霊に出会った顔つきで走り出ていった。
「ピアソンさん、ここどこだかわかってる?」
「ポーチだな」
ひとしきり堪能した後、ナワーブは息を弾ませながらクリーチャーの頬を撫でた。当たり前だろう、という恋人の顔はすっかり真っ赤に染まっている。きっと自分の顔も負けず劣らず熟れているだろう。クリーチャーの顎を掴んで鼻の先をこすり合わせると、うっとりとその瞼が閉じた。
「君が好きなんだ」
「うん」
「だから君に触りたいし、その、君に触れられるのは嫌いじゃない」
「好きの間違いでしょ」
「……好きだよ」
下唇を噛む仕草すら愛しい。勉強熱心な人々から口笛と歓声があがっているも、真っ赤になったクリーチャーが逃げ出すことはなかった。不器用で、子供のようで、大人のようで、何より愛してくれる愛する人。ナワーブは聴衆に手を振ると、戦利品を腕に抱いて退散することにした。屋敷の中に入って扉を閉めると、ナワーブは湯だったクリーチャーの頬を指先で突いた。
「ピアソンさん、もう一回」
「一回だけだぞ」
付き合い始めた頃よりも少しだけ上手になった口づけが捧げられる。これまで徐々に教えていった日々は実に有益だったというわけだ。自然と笑みがこぼれていく。離れようとする唇を追いかけると、ナワーブはゆっくりと溜まりに溜まったおさらいを開始した。
〆.
あとがき>>
twitterで「#リプきたイラストや写真から妄想SSを送り返す」に、漠丸さんから可愛い……しかし可愛い……絵を受け取ったので、普段から可愛いしか言えていないこの絶妙な情景にいたるまでをふんわりまとめあげました。おずおずと舌を伸ばす泥棒は一体どうしてその行動に出たのか、びっくりしているから傭兵にも青天の霹靂だったんだろうなあと考えた結果でもあります。物を知らなければ不器用であっても当然で、だからこそ上手い人に甘えてしまうこともあるかもしれません。一歩進んで自分も前に出ようとするのは、甘えることに慣れ切ってしまうと中々難しいだけに応援してあげたくなります。頑張って…!漠丸さん、素敵な作品をありがとうございました!
そして最後まで読んでくださり、ありがとうございます!