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特別料理


 似て非なるもの。ナワーブ・サベダーにとって、自国のカレーと英国のカレーは方向性は同じであっても見た目はまるで違う。母の味を僅かなりとも思い出そうと注文してみたが、英国人が言うところの『インド料理』はただの異国料理に過ぎなかった。食事関係は伝言ゲームと想像力によって、兎角チグハグになりやすいらしい。
 同様にして、美味しいには美味しいのだがどうにも違うと思うものがある。ドーナツだ。一つ齧っては思案し、ナワーブは常よりも緩やかに味わっていた。さっくりとした生地に、ほんのりとした甘さがじわりと広がる。シナモンを振るったものに、チョコレートをかけたもの、ジャムをつけたものと種類も多い。
 『荘園』に来てからというもの、自分が食べたことのない異国料理に触れる機会はぐんと増えた。それも、
「美味しくないなら、無理に食べなくても良いんだぞ」
ドーナッツの製作者であるクリーチャー・ピアソンの顰めっ面を目にして、ナワーブは弾かれたように顔を上げた。数々のご馳走の源の機嫌を損ねるわけにはいかない。
「違う違う、美味しいよ!美味しいんだけど……おい、ウィリアム!俺の分を取ろうとするな!」
「んー?ナワーブはあんまり好きじゃないんだろう?だったら俺が食べた方がドーナツも喜ぶ」
横から手を伸ばしながら、しれっと返すウィリアム・エリスが恨めしい。今は何としても名誉を回復しなければならないというのに、他の面倒ごとまで抱える余裕はないのだ。
「一理あるな」
「ピアソンさん!」
悲鳴を上げると、ナワーブは緩やかに絶望の坂を転がる自分の姿を想像した。クリーチャーは当たり障りなく人と触れ合う人間だが、些細なことから発展する執念は凄まじいものがある。『ゲーム』の中で遺憾無く発揮されるそれには、ハンター達でさえもまま恐れさせていた。矛先が自分に向かうのは非常にまずい。第一、美味しい食事があるにも関わらず、自分で作った味気ない料理を食べる羽目になる(実際あったのだ)のは御免だった。
「違う、そうじゃないんだ。美味しいんだよ……俺の故郷にも似たやつがあってさ」
「サベダー君の故郷に?そいつは意外だな」
「もう少し大きいんだけどね」
こう、と記憶を辿って手を広げながら、ナワーブは必死で言い訳――断じて違う――もとい、突破口を思案した。戦場以上に緊張するのは気のせいではないだろう。食事は日々の支え、『ゲーム』での士気にも大きく影響があるのだ。今となっては、ともすれば何のために同じことを繰り返しているのかわからなくなりそうになりつつあるのだが、それでも『ゲーム』をこなすことこそが肝要だとは理解している。だって、そうでなければ――そうでなければ何だったろう?
「セルロティって言って、屋台でよく売ってたし、母親もよく作ってくれたんだ。ただ、もっとモチモチしててさ……これはこれで美味しんだけど、ちょっと違うなと思って」
「なるほどな。つまり、サベダー君は故郷の味を期待したが違うものを食べたというわけだ」
理解はできる、と頷くと、クリーチャーは感慨深げな様子で追加のドーナツをナワーブの皿の上に載せた。どうやら、なんとかお許しをもらうことに成功したらしい。ウィリアムが残念そうな声を上げるが、知ったことではない。
 ドーナツに手を伸ばす。違うものだと分かっていても、目が、脳が、記憶を探って違うと喚く。良いじゃないか、これはこれで美味しいのだから。それとも、自分は本当は故郷を懐かしんでいるのだろうか?
 金さえあれば、とこんな時には強く思う。金さえあれば、違和感に戸惑うことなどなく、『ゲーム』で永遠に続くかと思う繰り返しを過ごすこともない。
 ただ、それは今よりも寂しいように思う。柄にもない考えは、以前の自分であれば鼻で笑う甘ったるいものだった。




 金は好きか?大好きだ。クリーチャーは自分の胸の内に尋ねて即答した。金があれば何だってできるし、自分が叶えたい夢も、他人の夢も希望も何もかも自分が奪うことができる。可能性の宝庫であるという考えは、何度生まれ変わっても変わらないに違いない。欲望の炎は燃え盛るばかりで、鎮まることを知らない。
 この『荘園』には、志を同じくする人間が多いので何かと助かっている。目的のために手段は選べないならば選ばないが、必要とあれば喜んで手を組む連中なのだ。多少衝突があったとしてもそれはそれ、『ゲーム』を重ねれば自然と理解は深まり、いつか相手を出し抜く日を待ちながら手を取り合うのは自然な流れだろう。
 ややもすると自分の感情を爆発させがちな――場合によっては”つい””正当に”暴力を振るってしまう――クリーチャーにとって、他人との潤滑剤はズバリ手料理だった。人間、生きている限りどう足掻いても腹が空く。美味しいものを労せずして食べられるとわかれば、それはいつしか麻薬のように離れがたい習慣となってしまう。要するに、ある程度はクリーチャーの意のままに動いてくれるということなのだ。多少手間がかかったとしても、十分元が取れるだろう。
 そんな中、一点の曇りが生じたことにクリーチャーは舌打ちしていた。揚げ菓子は荘園の人間たちにとって、定番の好物だ。腹持ちが良く、味も量も満足を得られやすい。にも関わらず、揚げ物好きの筆頭であるナワーブがドーナツに躓いたのは非常にいただけない事態だった。
 これがもう少し頼りない人間や、他の手段で釣れる相手であればクリーチャーも苦労はしない。だが、ナワーブの傭兵としての経験は言うに及ばず、彼の精神力と金への執着心は『ゲーム』に欠かせない。こと金に関する切望、執念、あるいは運命と言って良いほどの離れがたい縁はクリーチャーと至極似ているように思う。
 だからというわけではないが、クリーチャーは率直にこの青年を気に入っていた。雛鳥に餌を与えるように、彼を餌付けするのは密やかな楽しみである。普段冷静沈着で、他人のことなど気にもかけないという風を装った目が、自分の手料理を前にしていとも簡単に蕩けるというのは優越感を覚える。他の誰が傭兵を手懐けられるだろう?無理だとも!
「モチモチ、モチモチねえ」
自室で分厚いレシピ本をひっくり返し、クリーチャーは低く唸った。幾度西洋料理のレシピ本に挑んでも、ナワーブが抱く違和感の原因には触れられない。彼の故郷は遥かに東だ、ならば自分もまた想像のために東を訪ねるよりあるまい。
 ナワーブに聞くのは癪だ。彼のために心を砕いていると悟られるのは、別の何かを刺激するような、藪で蛇を突く羽目になりかねない。東に縁があり、ついでに多少は食事に関しても嗜みがある人間は誰か――考えあぐねたクリーチャーが向かったのは、館の外だった。




「そら、米粉やないの」
クリーチャーが訪ねた先で、はんなりとした美人・美智子は易々と答えを言ってのけた。たおやかながらもその背はクリーチャーより頭ひとつ分大きい。彼女こそは文字通り人でなしのハンターである。『ゲーム』でやり合う仲ではあるが、日常生活に支障はない。遊びは遊びと割り切れるのだ。
 現に、こうしてハンターの館を訪ねても、美智子は嫌な顔ひとつしない。否、当初は煙たがられたが、今では慣れっこになってしまっている。繰り返しの中に僅かながらでも刺激を求めるのは、生き物の性ということだろう。
「米粉?米って、あの煮たりするあれか」
「そうそう。米もね、小麦と同じで粉にして使うたりするんよ」
主には菓子を作るために行うのだ、と美智子は言う。小麦粉と同じような膨らみ方をするかは未知数だが、元は穀類なのだから不可能ではあるまい。単純に粉に挽いて使えるだろうかと思案していると、ヌッと頭上に影がさした。
「米粉ならば、少し研究をしたことがあるな。向こうの『私』にでも聞くと良い。多分まだ本を持っているだろう」
「あんたの専門はトカゲじゃなかったのか?」
見上げれば、ちろりと長い舌が揺らめく。ルキノだ。爬虫類を専門とする人間が料理に造詣が深いとはついぞ思い当たらなかった。感情を素直に露わにすると、『教授』は愉快そうに笑った。
「無論だとも。彼らが何を好物とするか、知りたいのは当然ではないかな」
「人とトカゲを一緒くたにしないでくれよ。だが、まあ、助かる」
不可思議なことに、サバイバーの館には『教授』が存在する。ごく普通の(とはいえ変人と呼んで良いだろう)人間で、ハンター側に立つ自身のことも理解しているらしかった。どちらもルキノ・ディルシという存在なのだから問題ない、と第三者であるノートン・キャンベルのお墨付きだ。ゲームにも生活にも差し障りがないのであれば不問とするのは、もはや『荘園』の異常さに慣れきってしまった証左だろう。
 そう、慣れきってしまったから、たかがドーナツひとつに悩むのだ。外の世界であれば、例え利用価値がある相手だとしてもここまで労を取ることはないだろう。文句を言われても気に留めず、改善する気は少しも起きない。残念だったな、と冷笑さえしうる。何せ、金にならない話なのだ。
 他にもレオ(どうやら娘に作って欲しいらしい)や、ロビー(こちらは自分に作って欲しいらしい)、リッパー(ただの冷やかしだ)といった面々の有難い指導を受け、クリーチャーは改善策を練り上げた。あとは実際にうまくいくかどうかだが、全ては台所が証明してくれるだろう。




 黄金の輝きだ。蜂蜜色のソースが添えられたドーナツの山に、ナワーブはしばし幻を見た。先月、文句を言ってしまってから気まずい心持ちになるおやつだが、食べ物に罪はない。おまけに、今日は運良く自分が最初にご相伴に預かる権利を得たらしい。争奪戦になる胃袋たちは目下ゲームの真っ最中で、女性陣は何をしているのか姿は見えなかった。
「ウッズさんたちなら、庭でお茶会の真っ最中だ。先に菓子を差し入れたから、当分こっちには来ないだろうよ」
「へえ。つまり、今は俺だけってこと?」
「そうなるな」
自然な流れだろうと肩を竦めるクリーチャーは些か怪しい。もしかしたらば、このドーナツはただの罠で、激辛ソースが仕込まれているのかもしれない。まさか!鼻を蠢かして嗅ぎ取るが、おやつから放たれるのは甘く香ばしい、ついでに言えば懐かしい気配だった。
「いただきます」
きっと、また自分は知らず知らずのうちに故郷を重ねてがっかりしてしまうのだろう。彼にもドーナツにも非がないと言うのに、勝手な思いに耽る自分がいたらどうしようかと不安で胸が騒ぐ。
「あ」
だが、意を決してさくり、と一口齧った途端、そんな重たい悩みは見事に拭われた。確かに味は異なる。だが、限りなく似ていて、限りなく特別な味だった。モチモチとした生地はしっとりとした舌触りを伝え、噛めば噛むほど甘さが広がってゆく。それでいてしつこくはない。完璧だ。好きだとはっきり言っても良い。一口、二口と確かめていくうちにドーナツは消え失せ、すぐさま二個目へと手が伸びる。
「ソースも使えよ。せっかく作ったんだから。その顔じゃ、気に入ったみたいだな。どうだ、今度は『違う』のか?」
ソースにはスパイスとオレンジウォーターを使ってあるのだ、とクリーチャーは難しいことを説く。よくわからないがそそる匂いだった。否、そんなことよりも今の質問には慎重に答えねばならない。こんなにも美味しいものを二度と食べられなくなる羽目には陥りたくはない。なにしろライバルが多いのだ。
「『違う』よ」
「じゃあ、」
「これは『特別』だ」
誠実に答えよう、それがナワーブの出した結論だった。自己肯定感の低いクリーチャーが引き下げようとするのを速やかに止める。言葉が足りない。もっと、もっと彼に伝えたい。この嬉しさを、喜びを、満足を――そして感謝を。
「確かに俺の故郷の味とは違う。でも、それで良いんだ。すごく美味しかった。それに、あんたは俺のことを考えて作ってくれたんだよね?だからさ……だから、これは他の何かでもなくて『特別』で世界にひとつなんだよ。そう思ったら駄目か?」
そう思いたい、と付け加えると、見る間にクリーチャーの顔が真っ赤に染まった。この表情は初めて見るもので、どう判断すべきか考えあぐねる。怒りであればすぐさま破裂する彼のことだから、多分に悪感情ではあるまい。ドーナツにソースをつけて食べると、凄まじい甘さが口全体を襲った。歯までがしっかりと甘さを感じる。まるでグラブジャムンだ。だが、これも勿論美味しい。
「……ピアソンさん、大丈夫?」
「ほ、他の奴には言うな。恥ずかしい」
見れば耳まで赤い。なるほど恥ずかしいのか、と思ったらば何故だか自分も頬が熱くなった。多分、ドーナツが熱いからだ。そうだろう。
「ちゃ、茶を入れてくる」
「お、お願いするよ」
釣られるようにして吃った返事をすれば、クリーチャーは脱兎の如く逃げ出してしまった。自分も相手も悪くはない。悪くはないが、ただただ気恥ずかしい。
「なんなんだろうな……」
もう一度、たっぷりとソースをドーナツにかける。まるでこの『特別』が胸の奥まで染み込んだかのようだ。甘い。だが、悪くはない。

 その感情の意味を、本当の意味で知り、味わうのはもう少し先のことである。

〆.


あとがき>>
 ドーナツが食べたい!というわけで久々に傭泥のちょっと文字数のある新作です。おやつはいつでも心の友。グラブジャムンは世界で一番甘いと言われるインドのお菓子です。東インド会社で働いた傭兵ならば、どこかで食べたことがあるんじゃないかなあと想像しながら書いていました。実際食べた感想としては、歯が溶けるほどに甘かったとお伝えしておきます。二人もそんな味を知ると良いな、と思います。最後まで読んでくださり、ありがとうございました!