一度混じれば分けられぬ、かくもむなしき道に意味などありやなしや
水よりも濃く
何になりたい?将来いつか、明日のずっとその先に!改めて問いかけられるでもなしに憧れる理想像というものは確かに存在していたのだ、とラドミーラはほつれた前髪をピンで留め直した。昨日、自分で髪の毛を剪ったは良いものの、どうやら素人仕事はまるで駄目だったらしい。研究には余計な塵や髪の毛など入り込んではいけないのだが、あまりの長さに我慢ならなかったのだ。自分はラプンツェルには到底なれないな、と清潔な真新しい白いガーゼの上に横たえられたみずみずしいピンク色の肉塊を眺める。
「まだその研究を続けているのか。先日の研究会で、既に地上にあるものだけではそれ以上にはなれないと発表があっただろう。遺跡から目覚めた上位者の声なき声に耳を傾けなければ、宇宙は程遠い」
硬く繊細なガラス細工が地面にぶつかるようなキンと突き抜ける声に振り向けば、同期のユーリエが腕を組んで立っていた。幼い頃から選び抜かれた子供達として聖歌隊を闊歩して来た仲だが、目指すものはまるで違うとラドミーラは心密かに思う。ユーリエたちは、己が身をそのままで高等なものに押し上げようと画策しているのだ。奉っている上位者が海からたどり着く軟体生物にも似た様子であっても、彼らには十二分に上等に見えるらしい。
「私は耳が悪いから」
「貴方は昔から人の話を聞かなかった」
事実、ラドミーラの耳には上位者と呼ばれるものたちの声や、彼らが伝えようとしていることは一切届いていない。あの泣き声を慰めようと歌が作られたとも、その涙を基に新たな神秘の道具が作られたとも聞いているが、ラドミーラには無関係の話だ。変わりたいものはもっと他に存在している。あれはラドミーラの目指すものではない。確かに、自分は人の身を望んではいないのだが。
肉塊は細長い管のようなもので、まさしくへその緒、生き物の母子を結びつける決定打である。今日手にしているのは人間のもので、数時間前に純潔のまま母となり、母子共々亡くなった同期が作り出したものだから間違いない。純潔のままだとは笑わせる話で、おそらくローレンスと通じていたというのが専らの噂だ。子供はカエルのような頭と鋭い牙を持つ奇形児だったから、死んだまま生まれたというのは幸いだったかもしれない。好奇心とは時に残酷であり、ここ医療教会は知りたいが故にすべてのものを犠牲にし、不幸のどん底に貶める覚悟を持つ者が犇めいている。
ピンセットを取り出して本格的に検分を始めると、ユーリエの手がすっと目の前を遮った。黒く柔らかな布地で作られた手袋が、彼女の手を一層美しく見せる。その手にふさわしい、芸術品のような顔立ちはすっかり目出し帽に覆われてしまって実に惜しい。とは言えわずかながらに見える部位がかえって想像力を掻き立て、本来よりも良いものに見せることはありうるだろうとラドミーラは考えていた。自分は?面倒なので帽子を被らずにいる。髪の毛も結い上げることすら面倒で自分で剪ってしまったほどだ。聖歌隊らしくないと他の人間が口にしていると知っているが、耳を傾ける内容ではない。
「……子供は、親を選べない。だからこそ私たちは変態して、より良い生き物に変わらなければならないんだ。もう済んだものに囚われるのをよせ。行こう、ロマが湖で待っている」
「ウィレーム先生のところに行ったのね。瞳を授けられたという噂は本当?ああ、でもね、けれどもね、ユーリエ。私が求めるものは違うの。瞳でも宇宙でもないの」
「ラドミーラ」
管の中から青鈍色の血が流れ出、ラドミーラは思わず息を飲んだ。青ざめたような色に見えはしないだろうか?不気味なメンシス学派の人間を尋問した際に発せられた単語が頭をよぎる。青ざめた血とは一体なんであろうか?自分が求めるものはまさにそれを辿った先にあるように思われて、このへその緒が自分の母なるものと結びついていないことを心の底から憎んだ。
「私は私になりたくなかったんだもの、良くなるんじゃなくてもっと最初からやり直したいのよ。生まれ直さなければ変わりようがないでしょう?」
「現実を見て、ラドミーラ。貴方には聞こえているはず」
ユーリエはへその緒を奪い取ると、開いた窓から乱暴に投げ捨てた。窓の向こうからはガラス窓を引っ掻くような、頭を揺らめかせる奇妙で不快な音が流れ込んでいる。今現在を変容させようとする未来の音で、ラドミーラは遥か上位から見下ろす存在の傲慢さを感じ取っていた。自分に必要なものは今から続く未来ではなく、仕切り直された過去からの未来なのだ。
「何も聞こえないのよ、残念ね」
「嘘つき」
子供染みた捨て台詞を吐くと、ユーリエは怒ってそのまま部屋を出てしまった。このところラドミーラとユーリエのやり取りはいつだって喧嘩別れで終わってしまう。だが、それも仕方がないことなのだ。二人が同じへその緒を分かち合って生まれ出た時から決められたことである。ユーリエは言った、子は親を選べないと。同時に子は兄弟をも選ぶことはできないのだ。こんなにも似ていない双子を、常に比べられ日陰者の気分を味わい続ける羽目になる日々を生み出したのは誰なのか?それを礎にした変態など願い下げだ。ましてや双子の姉妹と同じものになるなど真っ平御免である。
もし、上位者が子供を欲しがるならば、子供を選べるのであればなんとしてでも選ばれようと思う。改めて望んだ親の腹に招かれ、繋がれ、再び世に出る頃にはラドミーラなどという矮小な生き物になんの未練も生じないだろう。この研究はラドミーラの終わりの始まりであり、夜明けの始まりなのだ。たった一人で望む道筋であろうとも足を止めることなどできはしない。
たとえ異端と爪弾きにされ、当の血肉を分けた双子から引導を渡されようとも、ラドミーラの夢は終わらないのだ。
〆.