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誰が袖


 死んだ人間に口などあるか。そう豪語できるのは生きているからこそである。死んだらば恐ろしいほどに何もかもが喚き、耳をそば立てているとわかるものだ。生き人の思い描く地獄は現世のものと言えども、死人の世界は確かに存在している。瀬粉(ライファン。米の麺のようなもの)の生地を伸ばす手を止めると、美智子はかしましく細工物を作る面々を眺めやった。

「良いですか、こういうものは様式美ってものがあるんです。何でも最新のものが良いわけじゃないんですよ」

半ば鼻にかかった物言いをするのはリッパーで、その鋭い左手でチョキチョキと色紙を切り裂いている。短冊切りからより合わさって簾に変われば、横あいで小さな木片を弄っていたロビーが掴んで組み合わせた。横にルキノがナイフで削った馬を置けば、立派な場所が出来上がる。ガラテアは品の良い御者を乗せ、ふんと満足そうな声を漏らした。

「早く着けばその分やれることも増えるじゃろう。本来の目的に立ち返って考えてもみろ。どちらの方がありがたいか、わかりそうなものだ」

一方不満げに小さな機械を弄るのはバルクで、ボンボンが手伝ってせっせと数を増やしている。ボンボンにも使用しているエンジンを組み込んだ、最新式の航空機だとかで、実際昨日試作機が飛ぶ様を美智子も目の当たりにしていた。アンの猫が慌てて飛び退ったほどの俊敏さは目覚ましい。

「あんな風に言っているが、ただ試してみたいだけのような気がするな。……美智子、鴨の味付けはどうするつもりだ?」

呆れた声を出しながら、レオがローストした鴨を見せる。皮が良い具合にパリパリと焼けて香ばしい。この状態で食べても美味しいだろう。

「そうどすなあ」

どちらにも答えつ返しつ、美智子は果たして何が良いかと頭の中の引き出しを辿った。




 日本には先祖を祀る祭日がある、というやや間違っており正解でもある話が広まったのは、つい先月のことだった。収穫期にありがちな祭でもあり、賑やかでご馳走を囲む日でもある。美智子の記憶の中にも、遠い日の懐かしさを孕んで残っていた。荘園の主人の、去年とはまた違った遊びはないかという問いかけに応えたのは、どこか望郷の念があったからだろう。おはぎを作って、マリーがほっぺたが落ちそうだわ!と喜んだのは何より嬉しかった。

 世が世ならば、美智子は現世の人に迎えられ、送られる側であったはずだ。それが叶わぬのもまた現世の理不尽に他ならない。恐ろしいのはいつだって生身の人間だ。彼らにしてみれば、美智子はとうに口がない。実際はこんなにも口が回り、よくものを食べるなどもするのだけれども。

 日本ではこうだ、ならば近隣の中国ではどうか、と白黒無常に問いかけたのは自然な流れで、神秘的な東洋の文化(本当にそうだろうか?)に魅せられたハンターたちはワクワクと胸躍らせて耳を澄ませたものである。誰も彼も好奇心が強く、行動力があって執念深い。だからこそハンターに選ばれたのかもしれない、と美智子は心ひそかに思っていた。

「ありますよ」

白黒無常――この時は白無常だった――はうべなうと、書庫から一冊の本を取り出してページをめくり始めた。どこかの旅行記らしく、素朴な絵が添えられている。

「死者があちらでも恙無く過ごせるように、鎮まれるように供物を用意して忍ぶんですよ。ああ、これなどは私も口にしたことがありますね」

瀬粉と言うんです、と説明してくれた料理は聞くだに興味を惹かれた。それと、鴨の焼いたものにナスに衣をつけた揚げ物。美智子にはどれも想像がしやすかったが、どうも少しずつ異なるらしい。

 かくてハンターは二手に分かれた。一つは祭に相応しい食事を作るもの、もう一つは祭に必要な『物』を用立てるものである。物。日本であれば精霊馬だろうか、と美智子が思う以上に隣国の事情は込み入っていた。白黒無常が交代しながら詳らかに説明してくれたところ、面白いことに死者は生活に必要なもの一切を求めるそうである。

「足りないと、祟ったり騒いだりするんだ。たまに他人の子孫に先祖だと騙る人もいるらしい。祀られなければあの世でも貧乏だからな、生活が苦しいならやりかねん」
「まさか。死んでもお金が必要なの?」

ヴィオレッタの素直な驚きに対し、黒無常は強く頷いた。よって俄かな造幣局を担ったのはジョゼフである。装飾を考えながら、真ん中に描く人物をリッパーにしたのは彼なりの冗談だろう。生活に必要なものとなるとなかなか煩雑で、ままごと遊びのように小さな可愛らしいものが出揃う。凝り性のハンターなどは突飛なもの――それこそ乗り物ならば何でも良いと飛行機まで――準備する始末だ。私は料理は苦手なの、と明るく言い放ったマリーはどこかに行ってしまったが、おそらく彼女なりに何かを用意しているに違いない。

「もし、白黒無常はん」
「どうしました?」

生地を切って麺を作り、とるのもとりあえず露台に向かう。揺り椅子に腰掛ける真っ白な様子に、白無常だとすぐに知れる。その顔はどこか物憂い。当初嬉々として自国の文化を語らった姿は、時が経つにつれて萎んでしまっている。常に凪いだ海のように穏やかな(黒無常は少々猛々しいが)彼らに似つかわしくない寂しさを感じ、心持ち美智子には気になるところであった。

「鴨をね、焼いたんよ」
「……焼き鴨は、黒無常の好物だったんです」

ゆらりゆらり。思い出が波立つ。長い足先はぴったりと地面についているというのに、どろどろに溶けてよく見えない。まるで影に飲み込まれかけているようだ。

「どないな味にしまひょ」
「甘塩っぱく。この前作っていただいた、照り焼き、ですか。ああいうのは、きっと喜びます。多分ね」

多分。白無常の顔がくしゃくしゃに歪んで揺れた。二人は、友だったという。美智子は事情を知らないが、きっと古い仲だったのだろう。その友とは常に在り、常に別れている。互いの状況など知る由もなく、他人に言われて初めてはっきりと空白の時間が埋められる。さながら現世と冥界のように近くて遠い。

 記憶は、霞むものだ。思い出は滲み、だんだんと物語になってゆく。事実と願望と思い込みの区別は曖昧で、大胆に言うならば真実など死者には無関係なのだ。時間がずっと止まっているならば、何物も動かし難い。

「わかったわ。任せておくれやす」

ならばせめて、物語をなぞろう。楽しく、あったかもしれない思い出を。どろどろに溶けてゆく白無常を他所に、美智子はどんな味付けにしようかと頭をいっぱいにして厨房へと舞い戻った。




 甘く、香ばしい鴨。パリパリとした揚げ茄子の衣は、米粒もおり混ざって目にも楽しい。仕上げには真っ白な湯気を立てる瀬粉で、どれもが死者をも誘惑するに十分な出来だった。うたた寝から目覚めた黒無常は、待ち構えた宴に感嘆の声を漏らした。記憶が擽られて懐かしい。

「すごいな」
「そうでしょ。腕によりをかけたのよ!」
「マリー、作ったのは美智子さんです」
「同じことだわ!流石は美智子、私のお友達ね」

マリーの明るい声にアンがおずおずと口を挟むも、この女王様には関係ないらしい。豪放磊落とした性格に笑うと、黒無常は素晴らしい料理人二人に頭を下げた。アントニオがこの日のために作ったという曲を奏でれば、ジョーカーが合わせて一輪車で宙を舞う。正に祭で、祀りだ。

「ねえ、見てみて!僕、頑張ったんだよ」

袖を引くロビーについて行けば、まるで皇帝の行列かと思うほどの豪華なお供物が並んでいた。馬車に金銀財宝を載せ、侍童が玉を捧げる。舞い踊るのは小さな猿、針子に縫い子に楽を奏でる人間も忘れない。学者もいれば厨師もおり、最後は大量の札束を引っ張って飛ぶ飛行機が添えられていた。

「こんなにもらったら、すぐにお大尽になれるな。白無常も面白がるだろうよ」

謝必安は好奇心が強く、やれ行商が来ただの旅芸人が来ただの市が立つだの、なにくれとなく范無咎の袖を引っ張ってはつれて行ってくれたものだ。楽しそうな彼の顔はいまだに脳裏に焼き付いている。あれは――本当にあったことだろうか?

「ご馳走が冷めますえ。はよ食べまひょ」

身振り手振りをするベインと、きゃっきゃとはしゃぐロビーの説明に引き込まれていると、どうやらだいぶ時間が経ってしまったらしい。呆れたような美智子の顔には般若の面が被せられており、黒無常は素直に詫びた。御馳走は温かいに越したことはない。冷たいものを食べるのはまた別の季節の話だ。

 食卓につけば次々とご馳走が押し寄せ、腹へと吸い込まれてゆく。死んだ人間の胃袋は底なしで、どれも口によく合った。白無常にも味合わせたい。彼もきっと喜ぶと思ったが、美智子は代わろうとする黒無常に首を振った。

「ご馳走は黒無常はんだけ食べてほしいとの伝言どす」
「……なんでだ」
「黒無常の好きなものだから、だそうだ。お前に食べてほしいんだとさ」
「は」

なんだそれは。好物?確かに自分好みではある。多分そうだ、と思う。半ば忘れ、半ば思い当たる定かではない事実。白無常がそう言うのであれば、これは范無咎に捧げられた供物と考えるべきだろうか。とうに祀られることを失ってしまった自分たちを祀るならば、お互い以外にはあり得ない。少し早い菊酒を煽ると、悩ましくも芳しい香りが身を包み込んだ。酔うはずのない体がぐらぐら揺れる。こんな時、謝必安はどこにいるのだろう。呼べばいつだってそばにいたものを。

「私からはこれよ。ご覧なさい」

女王様の声が響き、練絹がてらてらと濡れた輝きを放つ。仕立ての良い衣装だということは歪んだ視界でもすぐさまわかった。彼女のお眼鏡にかなったならば、最上級品に違いない。

「あの世、かしら。あちらでは服も必要なのでしょう?いろいろ迷ったけれども、私が考えて仕立ててもらったのよ」

つまり、自分で塗ったわけではないらしい。それでも彼女が用立てたならば同じようなものだ。供物を受け取ろうとし、黒無常ははたと手を止めた。

「これを」

これを白無常に。たっぷりとした袖を撫でると、黒無常はどろりと溶けた。




 懐かしい匂いがする。宴の只中に呼び起こされ、白無常はパチパチと目蓋を開閉させた。確か、黒無常に食べさせてやってほしいと願った。宴も、祀りも、彼にこそ手向けられるべきだと思ったが故である。いくら罪を許すと相手が思えども、自分の罪は、この悲しみは拭い去りようもない。これは罰だ。祀られぬ死者はひどく寂しく貧しく乏しい。

「これはあなたに、だそうよ」
「私に?」

有無を言わさずマリーが高価そうな衣装を押し付ける。慌てて受け取れば、先ほど感じ取った懐かしさが一層広がった。昔、昔、間違いなく記憶のどこかで感じたもの。

「黒無常が、私に」

まるで相手の手を取るように袖を掴む。豊かな袖は、中に相手の手を引き込むには十分だ。かつて、夏を唱えた大陸では片袖の中にだけ語られる取引があった。謝必安の身にも覚えがある。そうっと差し入れる。在りし日の手触りが蘇るような気がした。

「ありがとうございます」

また、自分は掴むことができるだろうか。あの手を、そして掴んだままでいられるだろうか。

ぽちゃん、と水の中に落ち込んだ手の、あの力強さを思い出し、白無常はそっと衣装を胸に押しいただいた。

それは懐かしい、誰かの温もりだった。


〆.