ORIGINAL NOVEL
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宝の話


 廃線になった地下鉄の、幻の最終駅の改札を出て二番目の角を右、斜向かいに開いた扉を乗り越えて月あたりまで真っ直ぐ、続けて左手のゴミ箱を登って塀に上がり、隣の建物から五つ目の階段を降りる。どれもしなやかな猫のように静かに、柔らかく、だが素早く進まねばならない。住人たちを起こしてしまっては元も子もないのだ。更には入り込んだ薔薇窓から、古めかしい塔の一階に降り立ち、銅像の裏手に開いた穴から、かつて洗濯通りだった物干し台の上を歩いてゆく。地下深く、真っ暗な口を開いた世界には目を向けずに、細いかぎ針のような最後の最後まで進めばもう目的地だ。

 ここは物語溢れる場所、誰かがこぼした独り言の落ちた場所。秘密が降り積り、噂が現実へと変わる。先程まで歩いていた場所とは打って変わって、全てのものが生き生きとして鮮やかだ。偽物や幻が目を、耳を、鼻を、舌を、手を、心を騙し奪い去ってゆく。地上を走るワイヤーが赤錆色に輝き、吊り下げられた色とりどりの識別票とお守りと、願いが込められた鍵がガチャガチャと鳴る。錯綜する線が一度震えれば三十人が街に生まれ、もう一度震えば五十人が死ぬ。街は膨れては縮みを繰り返し、辿り着いた外の世界をも中に巻き込もうとするのだ。

 いつ、この街が生まれたのかは誰も知らない。おそらくは物語というものができた頃には既にあったとされている。誰も知らない物語が芽を出し、根を張り枝を伸ばした、それがこの街だ。どこに行き着くこともない、『今』の地は、故に世界を丸ごと写しとっている。あるいはいつか外と中をひっくり返すその日に備えているのかもしれない。

 大事なのは『今』と『これから』だ。物語はあくびをしながら待っている。新しい物語が生まれる瞬間は、何物にも代え難い喜びである。




 太陽が五十を数えた頃に生まれ、三揃の帽子を被った子供たちは、猿のように長い手を伸ばし、複雑骨折をした窓にぶら下がっていた。自分たちが生まれてから初めて地下鉄が走る音を耳にしたのだ、興奮するのも無理からぬ。現れたのは、見るからにぎらついた、傷跡だらけのツギハギ男だった。剥き出しの肩と腕、脚、どれもバラバラの人間からできていることが遠目にもわかる。物語になりそうな予感に子供達は震え、動きはワイヤーを伝ってリンリンランランと新しい命を降り注ぎ、また潰した。産声を上げるよりも先に塗りつぶされた文字を横目に見ながら、ツギハギ男を追いかける。

左肩を下げた歩き方は話に聞く武人の類いだろう。なるほど、ボロボロのターバンから覗く髪は藍色の紐で束ねられていた。南東の国だ、と空を飛んでいた人が言う。夜に聞かせる話によく出るのだそうだ。今や空に、地下に、こうして地上に目は溢れ、男の知らぬ間にあたりは物語に取り囲まれていた。わざとらしく道には店がひしめき合い、ありもしない土産話や食べ物を売りにかかる。油で揚げた、出来立ての話はカリカリとして美味しい。昨日教えてもらったばかりのことを思い出して、子供達はキャアキャアと騒いだ。後でおやつにしよう、それが良い。

 しい、っと空を飛ぶ人が指を振った。どうやら、数多の誘いを振り切って、ツギハギ男は目的地にたどり着けたらしい。

「おい」

ツギハギ男はひどく横柄で、はるばる苦労してやって来たのだから早く元を取りたいと全身で訴えていた。短気は損気、気長にやらねば実もなるまいとは知らぬのか。声をかけた先は、朱色の外套が美しい人であり、地面と熱い抱擁を交わしていた。南東の国から来た男は訪ね人の手を取り確認し、耳にした通りの目印が刻まれていることを認めて胸を撫で下ろした。真っ白な腕を這い回るのは金色の舌、およそ人の手では彫り尽くせぬ妙技に相違ない。

「お前が『秘宝の語り手』だな。蘇りの秘宝について教えろ」
『……ならば四枚』

ぬるり、と人が起き上がった。起き上がって知れるのだが、顔と手、そして背中以外には何もない人形である。顔ばかりは完璧に美しく仕上がっているため、壊れたと言うよりも半端に作り上げられ放逐されたように見受けられる。呼吸めいた動きをする度に空虚な部位が金色に輝いた。腕が揺めき、見えない腕と共に強欲に強請る。

「くれてやれるのは三枚だ。残りは無事に宝を得たら、後で払う」

異様とも言える人形に、男は少しも臆することなく大胆に言い放った。人形の定まらぬ目と、男の精彩を欠いた目が合わさりしばし問答する。男を頭の天辺から爪先まで眺め回し、一歩引いたのは人形だった。

『物語の終わりは自分で結ぶか。それもまた良いだろう』
「ここまで死ぬ思いで来たんだ、用心深くもなるさ」

漆黒の肌に埋もれた男の顔が僅かに歪む。男の傷は深く、治療に成功はしたが、元来歪んでいた中身までは治せなかったらしい。それでも良いと男は考えていたのだし、だからこそこんな嘘のような場所にやって来れたのだ。まともな神経があれば、帰ることのできない地下鉄を動かそうとはすまい。後に残した枠組みの都市が綻び始めたのも目にしたが、男は少しも振り返らなかった。大事なのは『今』と『これから』だ。その意味において、物語の吹き溜まりたるこの街と男の嗜好は一致していた。

 人形は深く頷き、男の性質を汲み取って識別票を受け取った。本物であることを確認した後に虚空に投げれば、どこからか伸びたワイヤーが拾って枝にかける。誰か、外の世界で実在した人間の証はこうして物語の一部へと成り下り、この街のために助けとなる。物語が膨らむには薪が必要なのだ。

 識別票を確かめた物語たちが喜びの鐘を鳴らす。この男は紛れもなく良い物語を携えてやって来たのだ。苛立つ男をよそに、人形は舞台役者のように聴衆に頭を下げてみせた。この程度の遊び心はあっても良いだろう。優雅な時間は瞬く間に過ぎ、人形は地面に座って男を見上げた。お待ちかねの語りの時間だ。




 街の南から出て、大きな蟻塚の塔をいくつも通り過ぎた先、砂漠化が始まった辺りに出るだろう。知っての通り、砂というものはどこからか湧いて出て太陽に黄色く染まるものだ。だが、よくよく目を凝らせば先の先、月と自分を結んで鼻が向いた場所に一筋の白い線を見ることができる。目に焼き付けて、ただひたすらに向かえば白亜の砂漠が眼前に開けるだろう。一昔前には虹蛇が這い回った後にできるとも言う。実態は定かではない。砂はどこよりも細かくサラサラとし、どんなに太陽が照りつけようとも青白い月の光を留めるばかりだ。

 月が中点に差し掛かる、半ばまでしか目の開かない光によって、その塔は現れる。じっと佇んでいたものが来訪者を迎えた証だ。実際にその入り口に立てばわかるが、これは一つの街である。迷いなきもののみがたどり着き、悩みなきもののみが扉を開く。四方八方を金銀財宝が飾り立てるものの、秘宝と呼ぶには及ばない。宝たちもそれは知っているので、あるものは侵入者の目を射抜くようにしてぎらつき、あるものはわざと足元に転がってくる。どれをとっても、国一つは容易く買えるが、所詮はただの賑やかしに過ぎまい。

 とはいえ、財宝は財宝故に多くの人間はここで土産を取って帰る。手にしたが最後、それが持ち主の秘宝となるのだ。頭からは当初の目的など消え失せ、扉はゆるりと閉じる。物語は終わるだろう。

 真珠のレースを潜り、珊瑚の並木道を駆け抜ける。追いかけてくるのは翡翠の呻き声だ。瑠璃の床が波打ち、指先に滑り込もうとした水晶が粉々になって空気を彩る。何物にも縛られてはならない。秘宝には犠牲がつきものなのだ。嗚呼、既に十分犠牲は払ったと?なるほど、その向きもあろう。だが、秘宝にはまだ足りぬ。あれは誰よりも貪欲だ。例えあなたが六人を犠牲にした七人目だとしても同じこと。

 ああ、ああ、気づいているとも。その右手は情人、左手は親友、目には姉、足はそう、きっとあなたの部下ではなかろうか。二人並んで勇ましいこと。波打つ心臓は父上のものに違いあるまい。最前いただいた識別票がそのうちの御三方の分であることももちろん承知。物語るものであれば誰でも嗅ぎつけることは可能、ただそれだけの話だとも。

 宝の塔で迷わずに頂上まで登ることが叶えば、すなわち秘宝を手にしたも同じ。高台に吹き抜ける風を全身で感じながら欲するものを手にできるだろう。




『三つであればここまでにて』

秘宝を知る人形は、完璧に作られた表情で買い手の様子を伺った。紡ぎ出された物語に、どれほど相手が感じ入ったかを知りたいという風が伺える。男が手にする識別票は最後の一枚、否男が持つであろう残りの三枚を虎視眈々と狙っているのは間違いなかった。この街はいつだって物語に飢えているのだ――自家中毒になる程語り続け、巡ってしまうとどうにも新鮮な空気が吸いたくなる。

「良いだろう。十分だ」

陽の傾きを図っていた男はしかし、それ以上の反応を見せることはなかった。彼にしてみれば行き方さえ、生き方さえわかればそれで良いのだった。自分の体に埋め込まれた、六人の仲間達を見抜かれたことは想定外であったとは言え、目的に変わりはない。そもそも六人は秘宝を求めた途中で一つにまとまる羽目に陥ったのである。悪夢のような道のりを、解いたターバンに書き付け、男は元来た道を辿って出口を目指して行った。

 偽物の市場が崩れて灰の山になり、紙切れが空を舞う。翻った文章の切れ端は、嘴の長い住人がすくって啜り上げた。喉越しの悪かったらしい言葉はすぐさま吐き出され、今度は暗くてキラキラした溝川に落ちる。涙と涎で洗い流されたインクが、まるで原初の海のように濁って煮えているのだ。子供たちが笑いながら溝川を越えてゆく。

『話はどう結ぼう』

男の背中を見送った人形が、程よく湿った声をあげれば、方々から葉擦れのような音が上がった。人間の耳には到底届かぬ、語られるものだけが持つ言葉である。

『無限の宝に!』
『眠れる姫を!』
『羊の海に流させよう!』

無責任な言葉が飛び交い、反響しあう中から人形はスイスイと良さそうなものを拾ってゆく。編み上がるまではもう少しだ。ツギハギ男は知るまい、と街の物語はうっそりと笑う。物語が人形の口を借りて生み出される端から、街に出口ができ、砂浜が積もったことを。すぐさま切り出された出来立ての月が中天にかかり、ギリギリとすり潰した古い物語が道を作り出す。

 秘宝とは秘密だろう。それを知る人物が、語り部がいるなどおかしな話で、正気に戻ればなんと言うこともない話である。物語は現実を作るのだ。現実世界とは物語に対する刺激に過ぎない。ツギハギ男はさぞや賑やかに話を飾ってくれるだろう。受け取ったばかりの識別表から振り落とされた男女が、子供たちに導かれて外へと向かう。

『……まんざら嘘でもないのさ』

人間臭い物言いをした人形は、わずかばかりの言い訳をこぼした。

 きっと、男は秘宝にたどり着く。そして美しい景色に目を奪われて、太陽に照らされた砂漠の光に身を焼かれるのだ。塔は元のように崩れ、宝の山と共に男は白い砂となる。いずれは宝へ。そんな夢が詰まった成れの果てはまた誰かの秘宝として語られるだろう。何重にも入子になった物語と現実が手を結んで途切れることはない。今や街は活気付き、世界を寿いでいた。残り三枚におまけの一枚が加わるのは時間の問題である。

世界は、今日も物語に溢れていた。


〆.