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どうせ書くなら、一度なら。


拝啓、


 ゲームのルールは簡単だ。サバイバーは四人で暗号機を解読し、内容をつなぎ合わせてゲートのパスワードを手に入れる。ゲートにパスワードを入力して開けるか、最後の希望として地下ハッチが開くのを待つか、どちらかの出口から脱出する。妨害するハンターから逃げ、捕まるよりも多くの人数が脱出できれば勝利だ。ハンター側にとっては逆が条件となる。簡単だ。ゲームとはこうでなくてはいけない。誰でも直感的に理解できて、納得ができるもの。だから遊べるというものだ。

 つまり、ひとたび仲間となれば、サバイバーは協力しあわなければならない。一人でも多く出れば勝ちであり、自分ひとりという個人は無意味となる。明日の勝利のために恐怖をも乗り越えてゆくには他人が必要なのだ。こんな簡単な道理が新人でもない人間に通用しないわけがあるのか?ある。フレディ・ライリーは現在身を以て知り、頭痛に苛まれていた。

「お前たちは共同作業の大切さがわからんようだな」

ゲームの後の反省会、一番最初に飛ばされて全てを眺めていたフレディは、チームメイトだったクリーチャ―・ピアソンとナワーブ・サベダーとを睨みつけた。どちらもぼろぼろで、今回の敗北が容易に想像される。たった一人でハッチから脱出したウィラ・ナイエルは涼しい顔をして庭園でのお茶会に出かけてしまった。彼女に落ち度はない。が、この二人には十分反省の余地がある。

「即死したあんたにだけは言われたくないね、弁護士先生」
「まったく同意だ」
「あれは不可抗力だろう。……仲が良くて結構なことだな」
「「違う」」

実際自分も問題を抱えたゲームではあった。だが、要点ではないので流すに限る。別のエサを投げればすぐさま飛びつく二人に、フレディは人知れず愉悦に浸った。椅子に座りながら滔々と語った演説は耳に届いていたのだろうか。解読が進まなかった理由は一体なぜなのか、飛ばされるまで知ることはなかった。自分がロケットチェアで遥か彼方へと飛ばされた頃には、2台は読み終わって良かったはずである。現実には1台きりで、ウィラがせっせと涙ぐましい努力をしてくれたばかりだ。クリーチャ―とナワーブは?彼らもまた、働きはした。フレディとハンターの周りにまとわりついて、二人がかりで救助をしようとしていた、ように見える。交互に助けてもらった身分ながら、無駄ではないかと思ったのは当然だろう。

 理由を尋ねようにも、二人は互いに責任を押し付けあうばかりで埒があかない。どうせ碌でもない、くだらないもの説明するのも馬鹿馬鹿しい内容なのだろうなと推察されるが、もはや解明する気力に欠けていた。自分が欲しいのは、次回の勝利であって美しい友情ではない。一々解きほぐすのは無駄な手間というものだろう。とは言え放っておくわけにもいかず、フレディはうんざりし始めていた。

そもそも、自分だって自ら進んで彼らと共同作業をしようという気持ちにはなれないのだ。目標がなければ敢えて口をきくつもりもない。我ながら涙ぐましく、他の人間にはこの努力を認めてもらいたいものだと思う。食堂の隅で話し合っているせいで、チラチラ好奇の目がこちらを伺っているのもフレディを苛立たせた。カヴィン・アユソとルカ・バルサーには、後で何某かの形でツケを払わせることにしよう。あとはエミリー・ダイアーと、珍しくもあれはヴィクター・グランツか。年若く世間ズレのしていないこの青年は、無害かつ御しやすいため、フレディの中ではお気に入りの部類に属していた。何よりも、彼の寡黙さは黄金よりも価値がある。

 クリーチャーとナワーブの話は拗れる一方で、段々と脱線もしてきているようだった。余計なことばかり話すから、脇道に逸れるのではないだろうか。沈黙は金だと知らしめる方法があれば、きっと彼らもわかるに違いない。

「よし」

かくて、運命は定まった。騒ぐ二人を後にして、フレディはナイチンゲールの元へと向かう。何せこの荘園には魔法があるのだ。使わない手はない。




 行き過ぎた。クリーチャーはなんとも言えない倦怠感を覚えてため息をこぼした。かっかとしたまま一日を終え、シャワーを浴びてスッキリしたあたりで今更ながらに反省する。昨日の自分は狭量だったかもしれない。

 昨日は久々にナワーブとゲームで一緒になった。舞い上がってなかったと言えば嘘になる。クリーチャーにとっては、この年下の青年は密かな悪巧みの仲間であり、弟分のようなものなのだ。彼が荘園に来たばかりの頃はつきっきりで世話をしていたこともあり、何も言わずとも互いの考えることはなんとなくわかるような気さえする。誰かにそんな風に気を許すなど、クリーチャーにとっては前代未聞のことなのだが、こればかりはナワーブも知るまい。ついでに言えば、仲良しが高じて二人はベッドを共にする間柄でもあった。溜まるものは溜まっても、吐口がないために大変便利な関係である。

肩を並べるからには頼りになるところを見せようと、チェイスの肩代わりやら救助やらを積極的に行おうとした結果は惨憺たる有様だった。板挟みになったフレディが怒るのも無理はない。自分たちは本当にお互いのことを理解していた――理解し過ぎていた。救助をしなければと思う時にはナワーブの姿があり、フレディから自分へとハンターの注意を向けようとすればナワーブの背中が見えた。相手の考えを汲み取った上で譲ればよかったのだろう。これこそフレディが言うところの共同作業に他ならない。

 だが、ゲーム中クリーチャーの胸を去来したのは焦燥感だった。ここで自分が活躍しなければ、またナワーブと組んだ時に物足りないと思われるのではないだろうか?少しでも彼よりもできる部分を見せつけたいと思ったなど、振り返るだに恥ずかしい。他人と張り合うことの無意味さくらいは分別のつく歳になっていたはずなのだ。おそらくナワーブは呆れたことだろう。

「謝った方が良いかね」

軽いノリで謝れば上手く流せるかを脳内でシミュレートし、クリーチャーは首を振った。ものの弾みとは言え、ナワーブのベッドテクニックについて苦言を呈した自分はそう簡単に許されないだろう。前々からどう伝えるべきか悩んでいたことを話せたのは良かったが、同じ立場であれば忘れ難い思い出となることは容易に察せられる。

 忌まわしいやりとりを反芻すると、クリーチャーは米神を揉んだ。よく考えずとも自分が言い過ぎた原因は他にもある。そもそもナワーブが余計なことを言ったのだ。一昨日の晩にナワーブが無茶を働いた余韻で、クリーチャーは到底チェイスを任せられる状態にはないらしい。ふざけている。ナワーブとのおふざけで、我を忘れるほどクリーチャーはウブではなかった。みくびってもらっては困る。

自分たちの関係を薄々察していたらしい周囲の目が、好奇心と哀れみを伴っていたのもまた憂鬱にさせる原因の一つだった。セックスフレンドなど言いふらすものではない。ましてや男同士だなんて、いくら仲が良いのだとしても大っぴらにするのは憚られる。エマ・ウッズが聞いたらばどう思うだろう。エマのことは好きだ――自分ならば幸せにできるという確信がある。が、今となっては自信がなかった。

 ナワーブの腕に抱かれる時、その背中に守られる時、ご機嫌取りに簡単に転がる顔を見る時、彼こそがエマに相応しいと思う瞬間がある。セックスフレンドに大事な人間の将来を頼むと言うのは変な話だが、任せられるような気はしていた。とは言え、今となっては皮算用はボロボロだ。

「歳のわりにしつこいんだよな」

どこで覚えたのか知らないが、ナワーブはベッドの中で突如として語彙力を増すのである。言葉責めは嫌いではない。が、それよりも体を動かしてさっさと発散させたいと言うのがクリーチャーの意見だった。自分たちは手っ取り早く性欲を吐き出したいだけではないか?時間をかけるだなんて正気の沙汰ではない。

 時折、彼が自分に何かを求めるような気配を漂わせることがあった。ひとしきり行為に溺れた後で背中にナワーブが額を押し当てた場所から、じわじわと暖かくなって行く時、ひょっとしたらばこのまま自分はずっと眠っていたらば幸せではないかとも思う。全ては束の間の夢だ。が、今手放すには惜しい。ゲームの行方はまだ知れないならば、最後の日までこの爛れた関係を続けても損はないだろう。

 一方で、すぐさま謝罪するのは損だ。お互いに非があり、理がある。向こうが折れる気配を見せたらば、上手に出たまま謝るとしよう。それこそ、ゲームで相手を助けた後でも悪くはない。今日は誰と組むのかを見るため、朝食に向かいがてら玄関ホールにたどり着く。誰でもなしに、荘園が望む一日がそこには描かれているのだ。

「おー、おはようさん。昨日は派手にやったな」
「知らないね」

早速絡んできたのは、同じくスケジュール表を確認しに来たらしいカヴィンだった。気が良い人間だが、こと恋愛となると興味を隠そうともしない。期待させたところ申し訳ないが、とクリーチャーは肩をすくめて自分とナワーブの関係を教えた。噂が出回るのは世の常だからこそ、有利な情報を流す必要がある。カヴィンに話せば、荘園の大半に伝わるだろう。

「……そいつは悪夢みたいな話だな。想像できない、いや、したくない」
「人の事情に首を突っ込んだ罰だ。これからは放っておくんだな」

今日の予定では、自分はゲームへの参加がなく、ナワーブは因縁のフレディと再び組んで出かけるらしい。これは代わりを求めても難しいだろう。明日ならばどうか――指で虚空をなぞっていると、カヴィンが口笛を吹いた。

「噂をすれば影だな。よう、ナワーブ。おはよう」
「おはよう、カヴィン……」

ナワーブの目がこちらを向く。が、言葉はそれ以上続かずじまいで終わった。なるほど、彼の中で怒りはまだ続いているらしい。頭が冷えるまで口をきくことはなさそうだ。ナワーブの出方次第ではと思っていた自分が馬鹿だった、それだけの話である。

「どうやら私には話しかけるのも嫌らしいな。なあ、カヴィン」
「俺を巻き込むなよ。あー、二人とも早いところ仲直りするんだぞ。悩みだったら一応仲間の誼で聞いてやる。男の相談を聞くのは珍しいんだ、感謝してくれ」
「……」

奇妙なことに、ナワーブは黙ったままだった。ただ音もなく口を開閉させるばかりで、さながら声を失ったかのようである。確かに彼は見知ったばかりの頃は無愛想で、クリーチャーをあからさまに蔑むなどもしていたものの、最近ではここまで強い拒絶を示したことはなかった。ベッドテクニックの話はどうやら鬼門らしい。顔を顰めると、クリーチャーは何事かナワーブに声をかけようと口を開き、絶句した。

「……、……、……?な、なんだ、何が起こっているんだ?」
「どうしたんだよ。罵り合わないのは良いが、黙ってたらわからないだろう」
「違うんだ、カヴィンさん。きっと俺と同じ状態で……駄目だ、やっぱりできないや」

苦しげに喉を撫でて、ナワーブがカヴィンに訴える。切実さを汲み取って、クリーチャーはようやく腑に落ちた。自分たちはお互いに声をかけることができなくなっているのだ。論理も理屈も不明な状況は、荘園の魔法に他ならない。だが一体なんの意味があってだろう?目的がまるでわからない。戸惑いを目に浮かべて相手を見れば、すいと逸らされクリーチャーは胸がざわついた。君は私に何を言うつもりだったんだ。

「とりあえず、朝食にするとしよう。何事も腹が膨れなきゃ、考えても何も出ないからな」

カヴィンの明るい声が虚しく反響する。目だけで頷き、クリーチャーはナワーブを盗み見た。やはり自分を見ることはついぞないままだった。




 どうしたらわかってもらえるのだろう。もう何度目かの焦燥感と後悔に苛まれ、ナワーブはソーセージを噛みちぎった。今朝は肉づくしとのことで、パトリシア・ドーヴァルが常にない量を盛ってくれている。余った分は昼に加工されるらしい。頼まれたクリーチャーが快く引き受ける様を横目で見ると、自然とため息が溢れた。

美味しいはずの食事がまるで砂のように不味い。無味乾燥を通り越して、もはや食べるに値しない状況だった。今日のゲームのためにも食べなければならないという一心でフォークを動かしている自分を褒めて欲しい。クリーチャーの機嫌が良ければきっとそうしてくれただろう。この歳にもなって他人を求めるなど恥でしかないが、彼には許してもらえるような気がしていたし、実際これまで甘やかされてきたのだ。一度覚えた蜜の味は忘れ難く、失ったとなればひどく寂しい。

気持ちに合わせてか、手のひらまでぐちゃぐちゃした感触がする。チラと視界に入ったエミリーの気遣わしげな目を追いかけて掌を見れば、見るも無惨な黄色に塗れていた。いつの間にかゆで卵を握りつぶしていたらしい。紙ナプキンを探しても見つからず、ナワーブは仕方なしにテーブルクロスを汚す道を選んだ。どうせ今日は自分が洗濯当番だ。洗い方はよくわからないが、クリーチャーに聞けば教えてくれるだろう。

「駄目だったな」

今の自分では、聞きたくとも聞くことは叶わない。元々ひどい喧嘩をした後なので、話をするのは難しそうだとは思っていたが、どう足掻いても人間の力でどうこうできる状態ではなかった。昨日のやりとりを思い出すと、未だに眉間に皺が寄ってしまう。自分は良かれと思って手を尽くし、運悪くそれが全て裏目に出ただけだというのがナワーブの言い分である。相手を労る、善意に溢れた行為であることは疑いようもない。にもかかわらず、クリーチャーは何を思ってかこちらのベッドテクニックの話を持ち出したのだから、やはり悪いのは向こうの方だろう。

 もし、だ。もし、いつものようにクリーチャーが自分に接し、あまつさえ甘やかすようなことがあれば、例え謝罪がなくとも許そうとナワーブは決めていた。結果は?結果は一層ややこしくさせるような羽目に陥っている。何度か試みてみたが、ナワーブからもクリーチャーからも、互いに対する声が形になることはなかった。半ば独り言めいた発言でさえも、相手を意識しているとみなされるのか音にはならない。伝言ゲームまで失敗に終わり、もはや事態は高い壁にぶつかっていた。

声が聞きたい。自分を呼び、自分に向けられる声が欲しい。そして相手に向けた自分の言葉をその耳に入れたい。人間、不可能となれば俄に価値を見出すもので、先ほどから募るのは苛立ちと寂寥感である。まだ二人の間が穏やかであった時の会話が呼び覚まされ、ナワーブの現在が過去に塗りつぶされてゆく。こんな気持ちになるならば、もっと前にあのことを伝えるべきだった。

「今日は静かで良いことだ」
「……ライリーさん。あんた、もしかしなくても何か知ってるんだな」
「ああ」

嫌味ったらしいセリフの主はもちろんフレディである。昨日迷惑をかけたフレディは、ひどく捻れた笑みを浮かべてみせた。恐らくは彼なりの意趣返しなのだろう。一体どんな技を使ったものか。怒りをぶつけることは簡単だが、ナワーブは冷静になるよう自分に言い聞かせた。今は事態を解決する方が重要だ。現役であった頃、何度も面倒な客を相手にしていた場面を思い出す。冷静に、慎重に。物事には何か仕掛けがあるはずで、それが荘園のかけた魔法であるならば解決する方法は必ずある。荘園でのゲームはどんなものであれ、いつだって公平なのだ。

「口を開いても喧嘩しかできないなら、話さない方がましだろう。昨日の様子からして、お前たちに話し合いだなんて高尚なものは求められないようだからな。……おいドブネズミ、皿を元に戻せ」
「な、なんの話だ」

フレディの指摘に声が揺れる。クリーチャーだ!テーブルの端へと目を向ければ、もはやお馴染みとなった皿隠しが今まさに行われようとしたところだった。相変わらずの子供っぽいやり口に、思わず笑みが溢れる。良い歳をした大人がみっともないと言われるかもしれないが、ナワーブにとってクリーチャーの児戯はただの愛嬌に過ぎない。朝起きたらシーツにぐるぐる巻きにされていた日を思い出し、ナワーブは早くも懐かしくなっていた。

「お前たちが仲直りするまで、無駄口はなしだ。何をすれば仲直りに当たるかは、ナイチンゲールの方で勝手に判断してくれる。せいぜい頑張るんだな……まあ、二度と口をきかない方が幸せかもしれないな」

哀れみを込めた目を向けられ、耳が熱くなる。確かにクリーチャーから浴びせかけられた非難は、そう何度も聞きたい内容ではない。第一、あげつらわれた点はどれも裏の意味を含んでいた。彼曰く、ナワーブはしつこく、ベッドの中では喋りすぎるのだという。時間がかかる上に(これは断じて肉体的問題によるものではない)、終わった後はすぐに寝かせてくれないとの指摘は正直なところ耳が痛い。指摘の通りであることはナワーブも認めざるを得なかった。が、最中散々せがんでくるクリーチャーにも非はある。

 ものの弾みでセックスフレンドの関係に陥った際にはすぐに飽きるだろうと思ったナワーブを繋ぎ止めているのは、単にクリーチャーへの耽溺に他ならなかった。粗暴でガサツとみなされがちな彼には、意外なことに昼と夜とで顔が違うという物語めいた形容こそが相応しい。要望のままに頑張った自分は満点ではないか。喜んでいるのはクリーチャーも同じなのだ。いつだって断ち切れる関係を結び続けているのは、彼とて了解しているからだろう。そうであって欲しい。

 もっとも、このまま互いに言葉を交わせないままであれば、一時的な関係が解消されることは目に見えていた。口をきかなくてもベッドで遊戯に励むことはできる。それこそクリーチャーが望んだ、あっさりとした処理で終わるのかもしれない。味気ない行為はいつか飽きる。それも自分ではなく、気ままな猫のような彼の方が自分を放り出すだろう。イライ・クラークに占ってもらわずとも容易に想像された。それでも良いでしょう、とイライは静かに助言するかもしれない。不毛な関係こそは淘汰されるべきであり、一時的に止まり木に群れ集った人間たちで強固な関係を築こうという考えが無駄なのだ。

「ワォン!」
「ん?ヴィクターの犬か。どうしたんだ」

くい、とズボンの裾を引っ張ってきたのは、ヴィクターの相棒・ウィックである。どうやら手紙を運んできたらしく、一度床に落とした手紙を咥えて差し出してきた。少々今日はよだれが多いようだが、悪気はないので許すとしよう。よれてしまった封筒を開け、素朴な紙を広げる。差出人はヴィクターだった。

『激励』

わかりやすい二文字に思わず口角が上がる。ゲームの最中に受け取る内容と寸分違わぬ暖かい言葉は如何にもヴィクターらしい。残念ながらゲームとは異なり、現実世界では手紙の魔法はかからない。とは言え、物見高くも揶揄うでもなしの激励は嬉しく響いた。

手紙。力強く書かれたために、裏面にまで凸凹が生じた便箋(と言うよりもこれはメモだろうか)に触れ、ナワーブはしばし思案した。寡黙なヴィクターでも誰かに何かを伝えられる紙は、ある意味では魔法の産物とも言える。もちろんナワーブとて書くことは可能だ。そう、手紙ならば。丁寧に紙を折り畳むと、残っていた黄身がベタつくのもものともせずに立ち上がる。味気ない朝食とはおさらばだ。もしかしたら――自分は答えを見つけたのかもしれない。




 手紙と聞いて、人は何を思い浮かべるだろう。荘園に来た誰もが、見たことのない主人からの招待状を手にしている。クリーチャーはと言えば、それに加えて嘆願書に対するすげない返事に借金の取り立てや立退勧告といった不穏なものを挙げられる。ごくごく稀にありがたい寄付の申し出などもあった。紙は紙、塵は塵に。必要なものだけいただいて、全て焚き付けにするか屑売りに売ったものだから、手元に残った思い出の一通などというものは存在しない。全ては自分を通り過ぎてゆく、時間の切れ端である。

 だから、こんな風に手紙を開いて取っておくなど、クリーチャーの人生においては天変地異にも等しい出来事だった。ただの紙に、これという特徴もないインクで、引っ掻くような字が綴られている。誰が見ても拙く、学の低い自分でも間違いを指摘することは容易だ。いくつかは斜線を引いて書き直され、力を入れて押さえたのか、淡いクリーム色の紙はすっかりヨレヨレである。どんな内容にせよ、書いた本人が必死であることは疑いようもなかった。

手紙とは、書くものであり送るものである。そして、受け取った側が読むも読まないも自由で、書いた先は運命に委ねられるものでもある。クリーチャーには、読まないという選択肢も残されていた。開いてもやめることは簡単で、こんなにも読みにくい代物を目の当たりにすれば明日に繰延てもおかしくはない。だが、敢えて読むという決定を下したのは他でもない、もらって嬉しかったからだった。誰から?よりにもよってあのナワーブ・サベダーからの手紙である。

「何を真面目に書いてるんだか」

暗号機の解読は鼻歌まじりでできるが、手書きは遥かに読み解くことが難しい。自分よりも字が汚い、と苦笑してクリーチャーは書き手の姿を思い浮かべた。あれは、ペンよりもナイフを握ることの方が多かった手だ。がっしりとしてたこがあり、分厚くなった指の皮が肌をなぞると何とも言えないくすぐったさが残る。細かい作業を苦手とする癖に、慎重を期して自分に触れる指先はクリーチャーのお気に入りだった。

『ピアソンさんへ』

 手紙は、ありきたりな書き出しで始まっていた。宛先と、綺麗に書けなかったことへの謝罪と、最後まで読んで欲しいというささやかな願いは、好感をもたらすに十分だろう。予想に違わず、ナワーブは手紙というものをろくに書いたことがなかったらしい。母親に書いて以来とあるので、ひょっとしたら異国の言葉で手紙を書くのはクリーチャー相手が初めなのかもしれなかった。特段趣味ではないが、初めての相手が自分というのは特別なようで胸が暖かくなる。

誰かの特別だなんて、自分の人生で望みうる瞬間があったものか。悔しく憤りすら感じる話で、すぐさま否と答えることができる。特別な存在であれば、自分の人生はもっと痛みが少なかったはずで、荘園にも寄り付かなかっただろう。痛みがあったからこそ、ナワーブに出会ったのだとしたらば皮肉な話だ。便利で、頼もしくて、生活に潤いを与えてくれる存在を、クリーチャーは何と呼ぶべきかいまだにわからずにいる。兄弟?ふざけた物言いは欺瞞に満ち溢れていて甘ったるい。セックスフレンドという言葉は事実だが、ボタンを掛け違えた違和感が残る。ナワーブがなんと呼ぼうとしているのか、呼んでいるのかには多少なりとも興味があった。

 『ピアソンさんが言った内容は、正直に言ってムカついたし、言い過ぎだ』
「ほう?」

仲直りをするために送ってきたのだと思っていただけに、予想外の喧嘩腰にクリーチャーは腹の中がどんよりとし始めた。あの青年は、一生自分と口がきけなくなっても良いと思っているのだろうか。連携をし、ふざけあい、果てはセックスに至るという昨日までの生活は全て砂上の楼閣だったのかと虚しくもなる。自分は何を期待していたのだ、他人に期待するなど愚の骨頂ではないか?キリキリと痛み出す胃を撫でさすり、クリーチャーは辛抱強く続きに取り掛かった。

『ベッドの中でお喋りだって文句を言っていたけれど、ピアソンさんにもっと気持ち良くなってもらうには聞いた方が早いと思う。知ってる?気持ちが良い時、ピアソンさんは幸せそうな顔をしてるんだ。俺があんたを幸せにできたなら、どんなに幸せなんだろう。自分の我儘だってことはわかってる。ただ、あんたと一緒に幸せだと思える時間をちょっとでも長く過ごしたくて』
「恥ずかしい奴だな」

そして、青い。清々しいまでの率直な言葉に、クリーチャーの頬は見る間に紅潮して行った。あの煩わしさには、縋り付くような願望が込められていたのである。幸せ?何と儚い代物だろう!欲望を叶えることは頭にあっても、幸せなどという曖昧なものは捨て去って久しい。満足は一瞬で、欲望は瞬く間に体を干上がらせる。次から次へと叶わぬ欲望に挫折し、絶望させられ、怒りと復讐心にも似た執着でここまで生き抜いたのだ。幸せにはほど遠く、ましてやナワーブとの行為で手に入るとは思われない。

 他人の幸せを願うナワーブは幸せ者だ。幸せだから、そんな残酷な願いを平気で口にする。善意の押し売りほど厚かましいものはないとも知らぬままに過ごせたのは、単に彼が幸福だったからに他ならない。もちろんナワーブの口元を見れば、彼の人生が決して平板でなかったことくらいは想像される。傭兵ならば凄惨な光景をいくつも見てきたはずだ。だが、根本的な幸せとは一度根付いたらば忘れ去ることはないのだろう。成功体験にも似た暖かさは、クリーチャーの人生にはまるで無縁だった。

『あんたともっと話したい。余り得意じゃないけれど、俺の話も聞いて欲しい。俺はあんたのことが好きなのかな?ピアソンさんが俺のわがままを聞いてくれる時、どこまでいけるのか試したくなる。知らないあんたをもっと知りたい。ピアソンさん、クリーチャー、……本当はこんなことを言っても、あんたは俺に興味がないし、ただセックスをすればそれで良いって思ってることはわかってる。でも、あんたとはもう話せないから、』

全部聞いて欲しかった。そう締めくくられた手紙は徹頭徹尾重い話で、独りよがりで、謝罪の言葉は最後の最後までついぞない。もしかしたら暗号でも仕込まれているのかと斜め読みを試みたが、無駄な試みであるくらいは最初からわかっていた。しわくちゃの紙に綴られるのはただの激情だ。目の前で語るよりも余程簡単に嘘がつけるはずが、かえって信憑性が増す。むしろナワーブの口から直接聞いたならばクリーチャーは反射的に拒絶をしたに違いない。相手の考えを最後まで聞くことさえなかっただろう。

 今となっては全てが遅い。クリーチャーは手紙を読み尽くして、じわじわと広がる毒のような温もりに呆然とするばかりだった。好きなのかな、と疑問系で書く図々しさにはらわたが煮え繰り返る。はっきり言ったらどうなのだ。否定をする隙を見つけられぬまま、手紙は冒頭に戻って延々頭の中で繰り返される。この短い手紙を書くために、ナワーブはどれほど時間をかけたのだろう。久しぶりに、それも異国の言葉で書くのだから相当な労力を要したはずだ。歪な字を指でなぞり、自分に向けて発せられた音を再生すると、湿った気分に瞼の奥で雨が降る。

 クォン、と足元でウィックが鳴いていることに気づいたのは、ズボンの裾が涎でぐっしょりと濡れた頃だった。雨でなしに本当に濡れた床はぬるつき、クリーチャーは苦笑してこの忠犬の頭を撫でてやった。

「返事が欲しいのか?」
「ワン!」
「そうか、お前は真面目だな」

手紙なんて出しっぱなしの自己満足だ。だが、同じくらいの自己満足なら返してやっても良いだろう。やられっぱなしはクリーチャーの性に合わない。いくらか綺麗な紙を探し出し、久方ぶりにペンを手に取る。

『サベダー君へ』

少し考え、書いたばかりの部分に線を引いてちぎりとる。まだだ。この程度では届きもしない。再びペンを手に取り、慎重に字を描く。

『ナワーブへ』

これで良い。唇の端を上げると、クリーチャーは反撃の狼煙を上げた。




 静けさは束の間の喜びだったようだ。フレディは再びロケットチェアを挟んで行われるナワーブとクリーチャーのやり取りに、うんざりしながら演説を重ねた。

「良いか、これはゲームなんだ。協力して進めなかったら負けると何度言ったらわかるんだ?大体仲直りしたんじゃなかったのか」
「あなたも災難ですねえ」
「うるさい。同情するならここから出せ、リッパー」

ゆうゆうと合いの手を入れるリッパーに舌打ちすると、仮面の男はイッヒッヒと不気味な笑い声を上げた。まともに口を聞ける相手がハンターとは、何と不幸なことだろう。面白がっているお陰でナワーブとクリーチャーに被害がないだけましか。ならば自分はもう少し演説に力を入れよう、と息を吸い込んだところでリッパーが肩を叩いてきた。

「あれは犬も食わないという奴ですよ。聞かないことをお勧めします」
「言われなくてもそうするさ」

なるほど、耳をすませば簡単な話だった。二人は罵り合っている――それも、くだらないほどの愛情の押し付け合いで。どうとでもなれという気持ちで導火線を眺め、フレディは静かにカウントダウンに入った。こんな場所からはさっさと出た方が良い。馬には蹴られたくないのだ。


〆.


あとがき>>
 明るいコメディを書こう!という気持ちで軽めに仕上げました。手紙を書く話は色々出しましたが、相手を見ずして書くだけに、どこか独り相撲の趣を持つ話を一度は書いてみたいと思っていました。直接のコミュニケーションが取れないからこそのもどかしさと、だからこそ伝えられる本音があれば、忘れられない一通になるのかもしれません。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!