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大事なものは離さない


星を数えて


 手。この手で何かが生まれ、何かを生かす。あるいは何かを失い何かを殺すだろう。クリーチャー・ピアソンにとって、手とは生命線だった。スリに合鍵作り、懐中電灯捌きに雨樋を伝って上から下へと逃れるためには丈夫な両手なくしては達成し得ない。汚い手、けれども自分にはこれしかなくて、一生大事にしていくのだ。目は片方だけでもどうにかなるし、足だって片方でもどうにかなりそうな気もするものだが手はこれきりなのである。

 窓枠からしなやかに身を乗り出して越えると、クリーチャーは軽い足取りで壁に張り付き、そっと心臓をなでおろす。大丈夫、ハンターには気づかれていない。先ほど助け出したイライ・クラークはジェットコースターに乗って失踪し、無事に月の河公園の反対側にたどり着いたようだった。開けておくべきは中間駅の停車機である。

フィオナ・ジルマンが一つ暗号機の解読を仕上げるも、残るはまだ四台もある。イライが負傷しており、最後の一人はナワーブ・サベダーと言えばお分かりの通りに解読は遅々として進まない。何故この組み合わせにしたのかと荘園の主人に問いただしたいくらいだ。日々の試合のシフト組みは荘園の主人が行なっており、何を基準に行なっているかは定かではない。ただ、彼ないしは彼女が非常に楽しんでいることだけは確かだーー良い試合だった、とご褒美が届けられる日があるのだから。

「ハンターが近くにいる!」

近くの暗号機に近寄ろうとしたところ、すくそばで警笛が鳴らされ、クリーチャーは慌てて隅へ隅へと逃げて行った。ついでに箱を開けて中身を取り出す。懐中電灯も良いが、もう一捻りしたい。警笛の主はナワーブだから、きっとうまくやれるだろう。彼ならばいける。だらりと汗を流しながら開けた箱の中身はマジックステッキで、まあ使いようだなとクリーチャーは腰にさした。たったそれだけで稀代の魔術師の仲間入りをした気分になる。

「ハンターが近くにいる!」

鐘の音と共に再度警笛が上がり、クリーチャーは急いで移動を開始した。フィオナとイライが合流したのか治療を終えている。一方のナワーブは殴られてもうすぐ体力が半分になるだろう。彼の血が点々と地面に散らばる様子を想像してクリーチャーは吐きそうになるのをこらえた。一つ向こうの暗号機を見つけ出す。心が震えても手は覚えている。冷静に部品を抜いていき、少しでも早く終われと祈った。ナワーブ。

「俺、怪我とか痛みとかって、だいぶ後になってから気づくんだよ。便利でしょ」
「頑丈自慢か?止してくれよ」

子犬のように懐いた青年にチェイスを仕込んだのはクリーチャーだった。優秀な生徒で、他のメンバーに教えられるほどである。当初は余りにも寡黙で、彼に何ができて何ができなくて、自分は何を差し出せるのかもわからなかった。生き抜くためには互いを知ることが必要で、同時に自分を守るための秘密も必要となる。だから時間をかけてでも、このゲームに勝ち抜くために彼を知りろうとクリーチャーは手を尽くしーーあっさりと開かれた箱にぽかんとした。こんな大事なものを自分に?何重にもかけられた錠をこじ開けにこじ開けた挙句、全部の鍵はあんたただ一つだけだなんて言われた気分をクリーチャーは知らない。必要なのは金だったというのに。もっと欲しくなってしまう。

「でも気持ちはすぐ響くんだよ」
「へえ」

聞き流したかったのは、自分の気持ちには永遠遅れて響いて欲しかったからだ。今日の試合前、彼はなんと言った?

「だから俺の気持ちを忘れないで」

ゴーンゴーンと、鐘がもう一度鳴った。




 真の傭兵とは、優先事項を間違えない人間のことだ。払われた報酬分だけこなさなければならない職務を全うする。今はゲームに勝つことが至上目標となる。勝てるならばどんな手段を選んでも良いのだ。よってナワーブ・サベダーは自分なりの優先順位をつけた。当初は自分一人で全てを背負ってやすやすと勝てると信じたから無謀にも突っ走ったものだが、この荘園でも古強者へと変貌したからには違う。共に組む仲間の特性を読み込んだ上で動こうという意思があった。

 解読が得意なもの、ハンターとチェイスをすることが得意なもの、ハンターを妨害することが得意なもの、支援に回ることが得意なものなどそれぞれであり、その手ほどきをしてくれたのはクリーチャー・ピアソンだった。彼自身は見たままの胡散臭さに真実味を与えるような軽々とした身のこなしがあり、あらゆる道具を自分の一部として使いこなせる器用さも携えている。便利屋だな、とまだ半ば疑っていた頃のナワーブは値踏みしたものだ。多分、向こうだって自分を瀬踏みしていたのだろう。

「そんな目で見たって飴玉はあげないぞ」
「いらないよ。ガキじゃあるまいし」
「いらないならあげよう」
「はあ?」

箱の開け方を教えてくれた日、クリーチャーはひねくれた態度のナワーブをものともせずに箱から飴を取り出した。レモンドロップはまるで涙のような生暖かさをナワーブにもたらす。自分に飴をくれた人間などもう何年もおらず、誰かにもらった時に泣きたくなったのは生まれて初めてだった。与えた方はそんなに嫌そうな顔をするなよ、とこちらの気持ちなど少しも伝わっていなかったが、この時クリーチャーはナワーブの閉ざしていた錠を開けたのである。

 クリーチャーの手は魔法のようだ。魔法使いならばセルヴェ・ル・ロイがいるし、綺麗さで言えばウィラ・ナイエルだっている。クリーチャーの手はお世辞にも綺麗とはいえないし、毛むくじゃらでごつごつしている。そのくせ肉は変に薄くて、よくこれで身体を押し上げていけるものだとナワーブは舌を巻いた。けれども、クリーチャーの手はなんでも生み出せる。胸踊るような虹色の懐中電灯、ヴィクトリアスポンジ、ほつれた服は元どおりに、アイロンで焦がしてしまったシーツは玉ねぎの皮でいっそのこと茶色に染め上げられた。他人の道具までも貪欲に使いこなす彼を器用貧乏だとあざ笑う人間もいたものの、ナワーブは純粋に目を輝かせて胸を弾ませたものである。

「ピアソンさんってさ、なんでも作れるんだね。魔法みたいだ」
「いいや」

ナワーブの褒め言葉に対し、吐き捨てるように返したクリーチャーの気持ちは見えなかった。フレディ・ライリーに尋ねたクリーチャーの名前の綴りには確かにcreate(創造する)という言葉が含まれていて、名は体を表すものだと感動していたナワーブにしてみれば肩透かしをくらった気分である。同時に、自分の心をもう一度世界に揺り戻してくれた彼に何かしてやりたいという”慈善家”めいた闘志が燃え上がった。彼の手から溢れるものがあるならば、彼の手に掴めぬものがあるならば、もう一組の手をさし出そう。そして掴んだ大事なものを彼に渡してやれば良い。

「魔法が使えたら、こんな苦労をしたりしないさ。私にできるのはちょっとした生活術くらいなものだよ。……どうして私の手を掴むんだ?」
「おまじない」

この手には、もっと幸せを掴んで欲しいと願ってナワーブはクリーチャーの手を握った。以前に酒を飲みすぎた時、クリーチャーが金さえあれば、金が欲しいんだ、あったらもっとうまくやり直せると夢を語っていたことを覚えている。彼の夢は金貨で埋もれていて、その先にある未来がなんであるかは本人さえも行方知れずらしかった。クリーチャーらしいと言えばクリーチャーらしい。ならば、自分はこの手に金貨以上のものを渡そう。だから自分はーー彼と共に生きなければならない。

 宗教めいた考え方だと、人によってはナワーブの正気を疑うような論理展開である。だが事態はもっと単純で、ナワーブは魔法の手を持つこの男が欲しくなっただけなのだ。鍵がなくては、また箱が閉まった時に一体誰が開けると言うのだろう?

「しつこいな」

肘当てを一度消費してジェットコースターの始発駅にたどり着くと、ナワーブはとっくのとうに車両が発車していたことに舌打ちした。イライが出て行ったことはわかっている。わかっていたはずなのに、障害物の少ない場所に走ってきてしまった自分が失念していたのだ。幸いにしてハンターであるベインは先ほど鉤縄を飛ばしたばかりなので距離を縮めるにはまだ間がある。解読は遅々として進まないのだから、もっと走ろうと思うも、ナワーブは自分の限界が近いことも感じていた。

 今日のゲームを始める前に、ナワーブは小さく積み重ねてきた心をクリーチャーにまとめて見せた。姑息なようでいて義理堅いクリーチャーならば、きっと覚えていてくれるだろう。このゲームが終わったら自分はなんとしてでも答えを聞くのだ。どうか今夜は晴れますように、とクリーチャーの返事を聞かぬうちからナワーブはどこか浮かれている。血が足りないのかも知れない。頭がふわふわとしてきて、心臓がうるさい。耳が熱くて轟々という音がする。喉から変な音が出たな、と思う時にはもう一発殴られていた。ああ、痛みはいつも一歩遅れてやってくるのだ。体はいつでも心に追いつかない。

 肩にフクロウが止まったが一歩遅い。ここがみんなよりも大きく離れた場所であることくらいが幸いかーーとうとう地面に倒れ伏した時、ナワーブは吊られることを覚悟した。だが、絶望は希望よりも足が早い。ベインはそれきりナワーブを置き去りにし、よそへと瞬間移動を果たしたのである。椅子にくくっても耐久時間が長いなら、放置しておいて他の人間を呼び寄せようという魂胆か。頼むから移動した先に誰もいないでくれと願わずにはいられない。血溜まりがぬるく体にまとわりついて気持ちが悪い。起死回生を使って這い上がろうとするも、意識が朦朧としてなかなか集中できない。お母さん。ここはどこ?ねえお母さん、あの星はなんと言ったっけ。星が金貨になるだなんて本当かな?

「見つけた」

低くしゃがれた声が小さく響き、母とは違った、だが優しい手がナワーブを癒してゆく。触れられた手で、ナワーブはようやく覚醒し始めた。クリーチャーだ。彼は勝負を諦めてはいなかったし、その手でまたナワーブを掬い上げてくれる。溢れ出した喜びのままに抱きつくと、汗と埃の混じった匂いがした。

「ナワーブ君のおかげでもうちょい頑張ればいける。フィオナがチェイスに入ってる間に、俺たちでこっちの解読を終わらせよう」
「ありがとう、ピアソンさん」
「……君の言ってた通りだな。心はすぐに響くものだ」
「え?」

最後の包帯の端をぎゅ、と結んだクリーチャーはまっすぐにナワーブを見てきた。普段の彼は義眼ゆえか、どことなく直視を避ける傾向にあったから非常に珍しい。澄み切った空の色と、きらめく金貨の色、まるで彼の心を表すような二つの瞳にナワーブは吸い込まれてしまいそうだった。その眼差しを数えたい。

「君が怪我をした時、倒れた時、ずっと心臓が痛かった」

強張った顔はどう頑張っても笑顔にはならないらしく、雲間に覗く曙光のようなほの明るさに止まった。自然と、ナワーブはクリーチャーの手に自分の手を絡めて眺め遣る。彼は自分を取りこぼさずにいてくれたのだ。それを魔法と呼ばずしてなんと呼ぼう?奇跡とでも言えば良いのか、否、これは運命だ。

「ゲームが終わったら、続きを聞かせてね」
「ああ」

暗号機に駆け寄り、解読を始めながらクリーチャーは小さく口ずさむ。私を忘れないで。忘れないさ。イライが一台解読し終えて、ハッチが出現する。無言の問いかけに応じ、ナワーブはまだ見ぬ地下室を探しに暗号機を離れた。夜まではまだ少し、時間が残されていた。




 自分の生命線が残っていることを、今日ほどクリーチャーが感謝したことはない。この手はただ生活を滑らかにし、生き延びさせてくれるものであって、純粋極まりないナワーブが望むような魔法はからきし使えないのだ。それでも、確かに今日、クリーチャーは起こしたいと思う奇跡を総動員させた。ベインをマジックステッキで撒き、開けておいた箱のそばにある旅行記を掴む。要所要所で隠れつつ、目指したのは力尽きたナワーブのところだ。母さん、と虚ろな声が聞こえる。思えば彼は故郷に家族がいる身空なのだ。痛ましさに一層胸を突き刺されると、クリーチャーは迷わずナワーブの治療に走った。

 解読を進めることが何より望まれているのはわかっていた。フィオナの方が治療には向いているし、この長距離をやすやすとこなせるのは彼女くらいのものだろう。それでも胸が痛くて、絶対に勝つという気持ちと同時にどうしても一緒にナワーブを携えて行きたかった。ナワーブはクリーチャーの手は魔法のようだという。魔法など使えやしない。よく働くだけの手だが、今こそ魔法を使う時だった。

自分の胸が痛むことを、もう随分長いこと忘れていたように思う。薄っぺらな外面で円滑なやりとりを行い、のうのうと過ごしていければ良いとすら思っていた。ある意味、クリーチャーの心はずっと遅れて響かずにいたのである。それがナワーブを前にしてからはどうだろう。きらきらと目を輝かせて付いて回る青年にほだされ、酒を飲んだ挙句に泣き言を吐いた記憶もある。自分の中にしまいこんでいた金以外の未来への渇望は少しずつ姿を現していたのを、クリーチャーは懸命に箱に閉じ込めていた。

「……君は私が鍵だと言っていたが、その言葉はそっくり君に返そう」
「それってもしかして、愛の告白?」
「まさか。飛躍しすぎだ、青年」

辛くも勝てたゲームの帰り道はもう暗闇で、外では星が瞬いている。夕食が少しでも多く残されているのを願いながらの歩きはただ星を数えるばかりだ。あの星が金貨になって落ちてこないかと目を皿のようにして眺め、気づいた時には寝こけていた少年時代を思い出す。星は星、金貨は金貨、どんなに綺麗であっても未来は変わらない。とうにやめてしまった星空への憧れを吸い込むように、クリーチャーはナワーブの隣で深く息を吸った。夜が体に流れ込む気分は悪くない。

「だがまあ、君といると魔法が使えるような気がするのは確かだ。それで、ナワーブ君はゲームが終わった後で何がしたかったのか、まだ聞いてなかったな」
「ああ、それはね、ええと」

照れた様子のナワーブに、照れるようなセリフを言ったのは自分の方だと思いながらクリーチャーは黙って待った。手を夜空にかざす。月の光を浴びた手のひらは、どこか特別な力をまとっているようにさえ見えた。今ならば、もっとたくさんの未来を掴める、そんな心地がひたひたと押し寄せる。自分の気持ちはナワーブに響いたろうか。それは流星よりも早くあって欲しい。

「……ピアソンさんと、こうして星を数えたかったんだ。そばにいて、数えて気づいたら眠ってるような日が毎日続いて欲しい。荘園を出ても、この空が続く果てまで俺はピアソンさんと一緒に数えたい。あんたといるとさ、世界には太陽も月も星もあるって感じられるんだ」
「大げさだなあ」

たはっと笑うと、クリーチャーは自分の中にある毒気が全部抜かれたような心地になった。金への欲望を捨てたわけではないし、とうとうナワーブに対して執着心を抱きつつあることに十分気づいているが、それでも心は清々しい。クリーチャーの目に世界は半分しか映らないのだけれども、きっとナワーブは全部を教えてくれるだろう。屋敷までの残り少ない道のりの最中、そっとクリーチャーはナワーブの手を握った。この手が、自分を救う。そして自分の手は、彼を救うのだ。どんなに強欲であってもこれほどまでには望めまい。

星を数えよう。そして金貨の音を聞くのだ。月に照らし出された道を歩きながら、クリーチャーはナワーブに星空を指差して見せた。


〆.


あとがき>>
 one republicの「counting stars」という曲が好きで、やや重いテーマを軽く可愛くまとめて書きました。互いに箱に封じ込めた柔らかさや諦めて捨て去ったものを拾いあって、4本の手で今まで手に入った以上の幸せを紡げたら、その手がどんなにぼろぼろであっても美しいように思います。本当に大事なものだけは、どんなことがあっても脳に刷り込まれているのは相手を思う故だと、いつか泥棒が素直に両手を広げて受け入れる日がくると良いな……!

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!