ORIGINAL NOVEL
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海の止まり木


 風に乗ってその吹いてくる源へ、源へと遥かに辿ってゆくと段々と地面は緑から空の青を吸い込んで青になり藍になる。空と地面とが手を結んだ先にぶつかれば、見渡す限りに広がるのは水だ。もちろん湖などではなく、はるかに力強いうねりを持つ場所――海である。風が生まれる場所であることは、じんわりと上がってくる熱と湿り気から肌に伝わるだろう。一歩近づくごとに空気には塩が混じり始め、海と陸との境では真っ白な塩の結晶となって溶けゆく人々が目に入る。海が近いと、人はいつしか潮の流れに混ざるのだ。

浜辺にはキラキラとしたサンゴや貝殻、遠く離れたどこかの器のかけら、昔々の誰かの骨が転がっている。砂浜の白さは塩と、埋葬された人々の骨によるものだ。ここで人は海から生まれ、海で育って海で死ぬ。波にレースのような縁取りがつくのは、海の下にいる仲間たちからの呼びかけである。

塩っぱい水は透き通っていて、触れてみれば薄い布のようなもので覆われていると知る。力を入れて腕を突き通せば細かな生き物もどきがひしめきあっている様を覗けるだろう。青、紫、緑に白、昼間はそんな目立たぬ色で一つの海をなしているものたちは、真夜中になれば一斉に光を放つ。ピンクに黄色、太陽よりも明るいオレンジ、どんな色も溌剌として、明日にも新たな生き物として独り立ちしそうだ。ここでは毎日祝祭が開かれている。どーん、という音が海中からしたらば花火が上がる合図だ。

 そうでなくとも街は陽が上る前、もっとも暗い頃から賑やかである。鈴と鐘が鳴らされ、太鼓と共に海の向こうから宝船たちがやって来るのだ。どんな王都に行こうが帝都に行こうが、この街を通らずして文物が行き交うことはない。世にも美しい城門、海――街の人々は誰しも海を愛し、誇りに思っている。海馬たちが水面下からそのたくましい脚を蹴り出し、ズッズと船を引きずる様は壮観だ。子供たちは海馬と海豚を撫で、食べかけの海ぶどうの粒をくれてやったりする。

 遠く離れた船からも見えるようにと、建物は皆白く磨き上げられている。大部分には浜辺の砂を使う。つまり、この建物一つ一つに先人の魂が宿っているのだ。ボコボコとした表面を撫でると、時折だれかの指に触れたような心地になるのももっともだろう。壁にピタリと耳をつければ、小さく湿った声が聞こえるはずだ。家々には白い布地がはためいて、生まれたばかりの風たちが羽ばたきの練習をする様を見て取れる。その香りは一度体験したものしか言い表せない。潮であり花であり草であり甘露にして苦みが混じる。

 年中風が吹くものだから、樹々も鳥たちも風に合わせた体になっている。風の行先を生きるものたちとは異なり、全てが軽い。だが一つ一つが揺らめいて生み出す音は、大いなる潮騒の一部でもある。波枕を手にして露台で横になると、あらゆる生き物の音が一つの子守唄を奏でるだろう。この街に住む人間だけに許された眠りはひどく深く、夜よりも強く人を引き摺り込む。

 朝からはしゃいだ人々はこうして昼寝をし、起きしなにその日に焼けた頬を震わせて歌う。体から離れていった潮騒を惜しむのだ。言葉とは裏腹に、楽しげな音に合わせて酒場では踊りが始まる。酔うように踊り、泳ぐように酔う。酒はいずれも血よりも濃い。そのくせ泡沫の夢のように酔いが覚めるのは早く、すぐさまおかわりが欲しくなる。もちろん酒に含まれるのは海水で、人々の体の中に順々と海が入り込んでゆくのだ。

どれほど人々が海を愛しているかは、海が高望みをする日に見て取れる。海との約束を果たすために、街の住人は皆こぞって白亜の塔を登る。盛大な拍手に応えるように、海は勢いよく津波を起こし、街を総ざらえするのだ。風たちが吹き抜けるよりもよほど強く、終わった後の街はまるで人が住み始めた頃のような有様である。それでも人々はこの地を離れない。むしろ、すっかり乾いた街並みで、はしゃいだ海が残した痕跡をくまなく探そうとするほどだ。海が通った後にできた新しい道、生き物になれなかった何かの残骸、そして何よりも赤ん坊たち。

 かつて海は約束した。この街と共に育とうと、そして一緒に風を生もうと。二つは黙って約束を果たし、今日もまた水かきのついた赤ん坊が産声を上げる。海が優しく布団をかけ、ゆっくりと波で揺すってやれば瞬く間に泣き声は笑い声へと変わる。そうして風が赤ん坊の頬を撫で、ずっと遠くへと旅立つ。空は今日も、緑の風乗りたちでいっぱいだ。


〆.


あとがき>>
 ふゆちゃんが企画した、情景描写スケッチ大会(的なもの)の作品です。テーマは「海」。長らく頭の中に揺蕩っていたものたちをまとめ上げていく作業は楽しく、自分もまた旅に出かけるような体験でした。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!