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ああ全部欲しい!


どこまでも


 クリーチャー・ピアソンは欲張りだ。恥知らずに大胆にあらゆるものを欲しがり、手に入らないことを恨み、頭をこねくり回してその手に掴んできた。悔しいことに、手に入れたものはその瞬間に色あせたり手を離れて行ったりしたことが殆どである。とは言えすぐに新しい欲しいものが見つかった。最初は屋根。温かいご飯。着心地のいい服、自分を囲む笑顔、自分を認め、必要だという声、社会的地位、宝石に東洋の動物に王冠までもが手に入ったと言えば魔術師だって目を剥くに違いない。クリーチャーの人生は常にどん底から有頂天、そして再び転落するというジェットコースターのようなものだ。いつだって走っている。安寧からは程遠い。だが、だからこそ飽きない素晴らしい人生なのだ。誰もが羨む人生!そうでなければならない。

 そんなクリーチャーでさえも、自分の欲深さには更に深みがあるとは知らなかった。お前はただの欲しがりで、本当に欲しいものなんか知りはしないと馬鹿にしていた裏通りの人間たちが聞けば諸手を挙げて喜ぶだろう。彼らは互いに足を引っ張り合う、他人の不幸が何よりも好物という救い難い連中だった。不愉快な思い出を脇に捨て、クリーチャーはポーチでじっと遠くを眺めていた。小さな影が近づき、大きくなる様を息を飲んで見つめているのだ。もう季節はだいぶ進んでしまってまだ高い陽が頬を焼く。どれほど長く座っていたろう。空虚で苛立たしい時間だ。

「救助の前にスタンを使うのは考えものだな。君じゃなかったら危ないところだった」

ようやっと目ではなく耳に刺激が届いて、クリーチャーは椅子を掴む手に力を込めた。少し甲高い、調子っぱずれな声はルカ・バルサーに違いない。確か今日はスタンを積極的に使うことを目標に掲げてゲームに出かけたのだった。結果はどうだったろう?続く声に心臓を跳ねさせ、クリーチャーはすぐさま呼吸を止めた。

「いや、あれは俺も避け損ねたから仕方がない。あまり気に病むなよ」

静かな若い声はアクセントに異邦の音色を秘めている。ナワーブ・サベダーだ!怪我をしたのか。いつものことだと分かりながらも、クリーチャーの手にはますます力が込められ、指が真っ白になった。焦燥に色があるならば今燃え上がる心はどす黒く淀んでいる。細くて小さな影がくっきりと姿を見せてトレイシー・レズニックの明るい声と重なり合った。

「思ったより短かったね。でも吸魂を防げたのはすごいよ!救助よりもチェイスに使うといいと思う」
「チェイスはできたらごめん願いたいね。人には向き不向きってものがある」
「気持ちはわかるけど、ハンターは別の意見だろうね」
「残念」

もう一人は誰だろう、と目を向ければ答えは簡単で、ビクター・グランツだった。声を失ったというよりは話す機能そのものを失ってしまったような様子の彼ならば沈黙と熱心な頷きだけに決まっている。調子が明るいからせめて引き分けに持ち込んだのだろう。どちらかと言えば今回はルカの練習の意味合いが強いゲームだった。いつからか新人の指導が手離れしたクリーチャーに代わり、教える側に回ったのがナワーブやトレイシーである。彼らを送り出す際に自分が感じたのは誇り、不安、苛立ち、有り体に言えば嫉妬、これに尽きる。彼らの立場が羨ましかったのではない。

「おかえり」
「たーだいま」

向こうにもこちらの姿が届いたのか、キャイキャイと騒いでいた面々からするりと抜け出し、ナワーブがクリーチャーの元に飛び込んでくる。椅子の上からのしかかって、押し包むようにして抱きしめ、チュッチュとキスが降り注いだ。この瞬間、クリーチャーは今の今まで感じていたゴミためのような気持ちを捨てることができる。何せ大事な恋人がそばに来てくれたのだから、嬉しくないはずもない。しっかりと抱きしめ返し、他の面々が口笛を吹きながら通り過ぎて行ったのを横目に素早くナワーブに口づけた。自分からするのは未だに恥ずかしさが残る。そんな気持ちを弄ぶ余裕などないというのに、未だに思い切れないのだ。

「怪我したのか?」
「少しね。トレイシーがすぐに治療してくれたから、今は平気」

屈託のない笑みを浮かべて、ナワーブはハンターに打たれたという肩口を見せた。毎度のことながらゲームの中で起こる悲劇は喜劇だ。治療さえ的確に行えば何もなかったかのように精算される。とは言え自分は後で裸にひん剥いて触れるまで安心できないだろう。肩口をなぞり、彼女が触れたであろう怪我を忌々しく思う。自分のいない間に誰かの手が親しげに接した?そば近くで密やかに交わされた言葉など知りたくもない。執拗に何度も撫でていると、ナワーブがため息をこぼしてその手を掴んできた。

「大丈夫だよ、ピアソンさん。心配しなくても俺は頑丈だよ。夜になったら見せてあげる」
「み、見せなくていい!」

咳払いをしたのは決まりの悪さというよりも自己嫌悪からだったが、ナワーブは生涯知るまい。こんな気持ちなど知りたくはなかった。妬みや嫉み、そんなものはこれまでだって経験したことがあるが、これほどまでに些細で繊細なものは初めてで持て余してしまう。ナワーブが立ち上がってクリーチャーを誘導する。絡めた手が熱い。信じられないほどに嬉しくて、幸せで、どうしようもなく惨めだった。

恋なんてする方が間違いだ。




 恋人は可愛い。震えるクリーチャーの手を撫で回し、ナワーブはニンマリと笑った。ノートン・キャンベルあたりは心底性悪だとため息をつくだろう類の笑みで、爽やかさなどかけらもない。元々ナワーブは自分の欲望や願望に忠実な男だから、そのような評価はむしろ名誉と言えよう。臆病で繊細で、自分自身を扱いあぐねた不器用な男を愛し手に入れた人間にふさわしい対価だ。

ナワーブのクリーチャーに対する恋心がいつ頃芽生えたかは定かではないが、純粋なものであることは確かである。こんな人間に、と誰もが目を見張る中でだからこそクリーチャーを愛したし、自分こそが一番になるのだと躍起にもなった。牡蠣の殻よりも硬くてコツを要求させるクリーチャーを籠絡するのは一筋縄ではいかず、思いを確かめ合ったあの日は例えようもない幸せの記念日である。多分一生覚えているだろう。しかもこの関係には思わぬおまけがついてきたのだ。

「ピアソンさん、俺がいない間何してたの?」
「し、シーツを洗ってた」

指の間、付け根を撫で回すとクリーチャーがびくりと肩を揺らす。それだけじゃないだろうな、と彼の目が暗さと喜びでぐらぐら煮えた様を見てとった。シーツを洗ったのは本当だろう。だが、先ほどポーチで歴戦の将校すら震え上がる厳格さで座り込んでいたのはもっと他に占める悩ましさによる。嫉妬だ。ゲームの様子を想像して気が気ではなかったに違いない。

「俺へのご褒美用意してくれたんだ!」
「ちちち違う!今日は元々洗う日で、」
「……残念だなあ。俺、期待してすごく頑張ったんだけど」

手を離そうとすると必死に追いすがってくる。まるで捨てられそうになる子供だ。いつだって振り払える手を優しく繋ぎ直してやると、ほっとしたようにクリーチャーのめが和らぐ。こんなにも分かりやすくて、よくぞまあ今まで無事にいられたものである。手に入れた奇跡にナワーブは今更のように感謝した。一二度深呼吸し、意を決した様子でクリーチャーが薄い唇を開く。

「怪我の、具合も見ないといけないからな。今夜は一緒に寝てやる」
「ピアソンさん、大好き」

本当はもう一声聞きたいところだが、あまり押しても拗ねるばかりになりかねない。いつか全部素直に打ち明けてくれるだろうか。このところベッドの上でのお遊戯は素直に楽しんでいる様子からして、そう遠くはないとナワーブは踏んでいた。真っ赤になったクリーチャーが懸命に自分もだ、と聞こえるか聞こえないか危うい声で呟くのは一重に彼が一途だからに他ならない。応えなければナワーブが離れていきやしないかと案じているのだ。そうでないことは時間と共にじっくりと自分が証明していけばいいだろう。

 クリーチャーが今抱いているだろう思いはかつてナワーブが悩まされ眠れなかったものだ、と思う。自分がそばにいない時に相手が何をしているのか、他の人間と楽しい人間を過ごしていやしないか、酷い目に合っていないだろうか、幸せを願いながらも自分抜きの幸せを棄却した。彼のそばにいられる人間を妬み、誰よりも深くクリーチャーの心に刺さっていたエマ・ウッズが羨ましかった。エミリー・ダイアーのように気やすい口を利くまでどれほど時間がかかったか、心理的苦労があったかは計り知れない。今ではあれほど病的な思いには苛まれないが、自分以外のものに夢中で取り掛かっている時には不安からひどくしてしまう。

そうして今度はクリーチャーがこの領域に達したというわけだ。薄々感じていたのだが、クリーチャーはもしかしなくともこれまで誰かと正面切って向き合ったことなどないのではないだろうか?エマに対する一方的な感情の押し付けを思い出し、ナワーブはさもありなんと肩をすくめた。クリーチャーの感情は即物的すぎる。例えば、ベッドに入るようになった時も、自分だけが楽しむことをひどく恐れた。ナワーブにしてみれば双方が満足する形でなければ二人でいる必要はないため、クリーチャーの手早く済ませて欲しいという要望は無価値だ。第一、肉体的満足だけで言えばクリーチャーよりもよほど抱き心地がいいものがこの世にはたくさんある。それでもクリーチャーでなければ心の底から満足することはもう、ないだろう。彼にはそれがわからないのだ。

 幼稚な嫉妬が、執着心がナワーブを甘く突き刺す。愛される身は辛いね、といつぞや酔いどれた(いつもだが)ホセ・バーデンにからかわれたが、ナワーブは辛さなど少しも感じていない。強いていうならば、クリーチャーがこの感情を持て余しすぎて暴走しやしないかという心配だけが常にある。それ以外はむしろ喜びだ。早く自分の元にまで転がり落ちて、もっと楽しんで欲しいと常に願っている。

「何してもらおうかなあ」
「い、痛いのは嫌だぞ」

すぐに返された反応は些か期待外れで、ナワーブは苦笑しながらクリーチャーの耳をなぞって少しつねった。こんなところまで彼の身は薄い。

「気持ちいいことだけだよ、約束する」
「当たり前だ」

言いながら期待に輝く瞳が愛しい。なんて大正解。彼に恋をして良かったとナワーブは歓声を上げた。




 朝、起きるたびに今日も自分は間違うのかと呪わしい心地になる。ぐったりとした体を捻って、クリーチャーは顔をしかめた。こんな気分になるだなんて聞いていなかった。身体中に甘ったるさが残ってだるく、頭が半分バターのように溶けている。カーテンの向こうにちらつく光でもう朝だと知れているが、起き上がる余力は少しもない。ナワーブにご褒美を与えた後はいつだってそうだ。否、これは『ナワーブの』ご褒美なのだろうか?行為の最中自分が満足していることくらいは流石のクリーチャーも自覚していた。

 ナワーブに愛を持ちかけられてからは知らないことにぶつかってばかりだ。誰かに愛されることが自分を狼狽させることも、嬉しく思わせることも初めて知った。横でまだぐっすりと眠るナワーブの顔を手の甲で撫でて、幼さをなぞる。身がすり減るのではないかと危ぶむほどに自分を愛していると示す彼はやはり正気ではない。薄暗さの中でも青年の喉元に自分が残した噛み跡を見つけてクリーチャーは顔から火が出そうになった。普段からこの辺りのナワーブの守りは堅いが、ややもするとちらりと赤が覗きかねない。覆いかぶさって来たお返しを何かしようと酸欠気味の頭で動いた結果がこれだ。

「まだ足りない?」
「わっ」

パチン、と目が開いてクリーチャーを捕らえる。生きた目に写る自分の姿に舞い上がるのも束の間、その目で他人を見るのか、と思うとクリーチャーはまたぞろ気分がめちゃくちゃになった。足りないと言えば本当に身を削ってくれるだろうか。無意味な思いつきだとはよくよく承知しながらも、二人の間に朝が来てしまったのだから果てはない。自分の感情を棚に上げていっそのことナワーブを憎むことができたらばどんなに楽だろう。どうしたら全部手に入って、満足して、死んだように眠れるのか手立てがわからない。黙ってナワーブの心臓のあたりに耳を寄せると、クリーチャーは静かに彼の音に耳を澄ませた。生きた音がする。

「……足りないさ。だからと言って、ずっと満足なんてできないんだ」

ポロリと言葉を零すと同時にひどく後悔した。相手を困らせるだけで出口のないものをぶつけたところで、良い結果を生まないことはもう十分に経験を積んでいる。かつてどうしても欲しくて、欲しかった理由もわからずに欲しがって手に入らずに空中分解した気持ちを思い出し、クリーチャーの胸に苦いものがこみ上げて来た。ナワーブが静かに頭を撫でてくる。こうしているうちにも朝がどんどん二人の間を他人にしてゆくのだ。

「ピアソンさん今ね、俺すっごく幸せ」
「人の話を聞いてたのか?い、今のは君が私にあ、あ呆れるところだろう!」
「嬉しいんだよ」

また初めてだ。混乱する頭で、クリーチャーはナワーブが与えるおかわりを甘んじて受け入れた。頭はいつでもめちゃくちゃで、今日だってこの後きっとまた誰かに嫉妬してしまう。心配で死にそうになって、嬉しさで舞い上がって人生が全部一瞬一瞬に凝縮されたように激しく蠢くだろう。ずっと自分は間違って、愛なんて馬鹿だと思うのに手放せない。ナワーブの心臓に口付けると、動いていることにこんなにも喜びが溢れ出るだなんて誰も教えてくれなかった。

 多分、自分は全て白紙に返されたとしても性懲りもなく愛を求めてしまうだろう。だって自分は欲張りで、欲の底の向こう側に穴が開いてしまったから止まるところを知らないのだ。ナワーブが訳のわからないことを耳元で囁いて一層自分を駄目にする。あろうことか好きすぎてクリーチャーを殺してしまいそうになるらしい。愚かで愛しくてたまらない。

もし、ナワーブの心臓が止まったらば自分の心臓をくれてやろう。生きる彼はとても魅力的で、苦しむ彼はずっと自分のことを思い出してやまないに違いない。かと言って死ねもしなくて悩むのだ。ちょうど今の自分の気持ちにも似ている。あって欲しくはない未来はひどく歪んで蠱惑的だった。ナワーブの喉元が目の前に迫る。体がグッと近くなり、朝が引き裂いた分かれ目を限りなく小さくする。クリーチャーは大きく口を開けると、生命の塊にかじりついた。



〆.


あとがき>>
 twitterタグ募集で、黒兎さんより『だれかの心臓になれたなら』(GUMI)をイメージして書きました。絶望的な中にすがりたくなる過去の輝きを求めるような、渇望する気持ちを表した歌詞がなんとも切なく思います。ピアソンさんは手に入ったものに執着しそうですが、今までとは違う執着の仕方をすれば逆に戸惑うかも知れません。いっそなくしたくて、でもやっぱり欲しいと願いながら悶える姿を、ちょっと先に進んだナワーブ君が待ち構えていたら良いなあと思います。素敵な曲に感謝です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!