変わらぬならば
彼は私を一番だと言う。絶対不滅の第一位の存在であり、私との約束はそれこそ天変地異が起きるとしても破らないとまで言い放った。彼、范無咎はなんとも純粋で真っ直ぐな男なのだ。しかし私、謝必安は彼よりもよほど物事を考えるのでーー彼の言葉を信用してはいなかった。
花が蕾から咲き誇り、気づけば萎れて散り行き無残な様を晒すように、人の心もまた時とともに折に触れて変わっていく。私自身もそうだろうし、私の手の及ばない他人に至れば当たり前の話だろう。范無咎がどんなに何度も言おうとも、その時は真実だとわかっているが、私は未来を信じはしない。それもまた確かな話なのだ。
では私にとって彼は、と言うと、今のところ変わりなく彼は私の一番であり続けている。愚かな范無咎、私がどれほどあなたをつなぎとめることに必死かをあなたは知らないでしょう。あなたが私を一番だと思い続けていられるのは、私が時折わざと突き放して見せたり、あなたを試したりあなたを甘やかし許してきたからだとは思いもよらない、そうでしょう?あなたは私を疑わないのだから。それで良い。それが、とてもとても良い。
とは言え私はこの状態を続けられない可能性が残っていることを承知しているので、もっと劇的に確固たるものにしたかった。彼も私も変わらせないために、永遠に二人が幸せで不安の影などささないようにしなければならない。私は幼い頃からこの『変化』が煩わしかった。変化は私に対応を求める。面倒で仕方がない。
例えるなら、髪が伸びたら切らなければならないようなものだ。私は面倒なので長く長く伸ばしっ放しにしていたら、いつのまにか范無咎が真似し始めた挙句に私の髪を世話するようになった。不器用な三つ編みに微笑ましさがこみ上げる。いじましさが編み込まれているようでたまらない。范無咎の髪を整えることが私の日々に組み込まれたことも良かった。本当は私の方が器用なのに、わざと不器用なふりをして世話を頼む。私に手をかける彼の時間は全て私のものなのだ。
結論として、私は変化を止めることを思い至った。范無咎を変化させない。死んでしまったらば元も子もないので死なせることは却下だ。ただし、彼の時間を全て私の手に取り上げること、これは外せない。手脚を失うような真似もいささか痛ましい。意識がはっきりしていれば、范無咎は悲憤のあまりに私に迷惑をかけまいと自ら死を選びかけない。范無咎は思い切りもいいのだ。そんなところが、私にはたまらなく眩しい。彼は私が隣で笑いながら何を考えているのか知らないと思うと可哀想で愛しさを感じる。
街中で、白痴になってしまったという女性を見たのは偶然だった。夫君が甲斐甲斐しく世話をし、話しかけてもただ夫君を見るばかりで、まるで永遠に夫君のために咲く花のようだった。あんな風に范無咎が自分を見てくれたら、私のすべての時間を彼に使えたらもう変化を恐れなくても良くなる。范無咎だって、私と互いに一番になっていたら嬉しいでしょう。ね?
それから私は医術を志すと言って勉学に勤しんだ。当たり前のように范無咎は横に机を並べる。謝必安はすごい、たくさんの人を救ってやろうとしているんだな、と言っている彼の瞳がどことなく寂しそうなことは見て取れたが無視をした。可哀想に、でもこれがあなたにとってもいいことだから、少し我慢をしていてくださいね。
頭に強い負荷をかければ白痴はできるらしい。痺れさせて窒息させ、生き延びるぎりぎりのところで離してやれば私だけの永遠の花の完成だ。間違えたらば殺してしまうかもしれないから、練習が必要だな、と思う。人では足がつくから何がちょうど良いか考えあぐねて、やっぱりこんなことは残酷だろうかと食べ過ぎでお腹が痛いと苦しむ范無咎の顔を見ていた。私は間違っているかもしれない。自由な范無咎はこんなにも生き生きとしているのに、だがだからこそこんなにも先行きが心配でならないとも言えて、私は練習候補を選ぶ段階になってもだもだと悩んでしまった。
私が何に悩んでいるか知らず、范無咎は私がどうして思い悩んでいるのかとあれこれ彼なりに頭をひねって気晴らしに行こうと物見遊山に誘ってくれもする。その優しさに、私はやはり自分は少し狂っていたのだと後悔もした。変化しても繋ぎ止め続けるように努力すれば良いではないか。白痴はーーあれはとても、羨ましいのだけれども。
「南山に行こう、謝必安!ちょうど綿毛が飛ぶ頃だから見甲斐があるって、陳おばさんが話してるのを聞いたんだ」
「良いですね」
南山は文字通り街の南側にある山で、ちょっとした民間信仰の対象になっている。柳絮が一斉に綿毛を飛ばす様は雪が降っているかと錯覚するほど見事で、私よりも范無咎が気に入っている光景だ。彼と眺めるのは私も好きだから、二人が連れ立って歩くことになんら了解は必要ない。
言われるがままに家を出、山道に入る前の南台橋についた頃だ。山の向こうに、微かな黒雲がちらついている。もしかしたら、雨が降るかもしれない。雨に濡れたら折角今のままにしておこうとした范無咎が風邪を引いてしまうかもしれない。ここから私の家は近いから、傘を取ってくるのに大して時間もかからないだろう。言った端から小糠雨が頬を打つ。
「このまま走れば山小屋に着けるさ。行こう、大丈夫だって」
「途中で本降りになったらどうするんです。あなたは橋の下で待っていてください。すぐに戻りますから。約束しますよ」
「……わかった。約束だからな」
遅れるなよ、と笑った范無咎の顔に、私は彼を白痴にしなくて良かったと心の底から思った。大事にしよう、愚かは私だ、間違えずに済んで良かった!
范無咎、范無咎。やっぱり私は愚かだった。私は正しかったのに、ほんの少しの勇気が足りずにあなたを変化させてしまった。それとも、もしかしたらあなたは律儀だから、私のために変わらずにいてくれるでしょうか。私との約束は絶対に守る、それがあなただったはず。
家にたどり着いた頃に雨は本降りとなり、普段は踝ほどもない浅い川が暴れる水龍となってどっどと音を立てて流れていく。決壊した川の氾濫に押し流されていく范無咎は、全て飲み込まれるまで私に向かって手を振ってくれていた。彼はここにずっといると私に約束したから、約束を守り続けていたと教えてくれたのだとすぐさまわかった。
「ごめんなさい、間に合わなかった」
范無咎、私も約束を守りましょう。必ずあなたを探し出し、あなたに傘をさしましょう。今度こそあなたも私もずっとずっと、同じところに留まるために。
〆.