愛でるを狩るとはこれいかに
紅葉狩り
気持ちというものは頼りがないものだ。ちょっとしたことで途絶えてしまったり、変質してしまったりする。水をかけたように沈黙したかと思うと、一方で燃え上がるように激しく膨れ上がって手に負えなくなる。故に理性で手綱を握って初めて人は均衡を保つことができるのだ。湯屋で自分を取り戻した福沢諭吉は、益体もつかないことを考えながら介抱してくれていた隠し刀を仰ぎ見た。
崩れた浴衣がうっとりするほど似合うと思うのは欲目だろうか。否、先ほど湯屋でまだ記憶がはっきりしていた頃では随分彼には好奇の目が集まっていた。彼の魅力は何も自分一人だけが理解するでなし、だがこんな人間を独り占めできるのは自分だけなのである。子供のような喜びを胸にしながら団扇を仰ぐ手を掴むと、面白そうな色を浮かべた瞳がじっとこちらに注がれた。
「もう大丈夫ですよ。ご迷惑をおかけしました。そろそろ仕事に出かけないと」
「役得だから、問題ない。それに今日は――特別な仕事はないんだろう?」
お前の色々な顔が見たいから、という戯れが聞こえた気がしたが、続けて隠し刀が取り出した通達に諭吉の意識はたちまち引き寄せられた。押印は見覚えのある自分の勤め先、外国方のもので、米国領事の依頼により二日間領事館に出向するようにとある。一体どんな依頼だろうか?通達に貼り付くようにしていた用箋を見れば、こちらは凸凹とした加工で米国領事からのものだと知れる。
「『たまには休暇を楽しみたまえ ――タウンゼント・ハリス』?どういうことです、これは。まるでハリスさんが僕に休みを取るよう工面してくれたようですが」
「お前の頑張りが知れたんだろう」
素知らぬ体で言うも、男が一枚噛んでいるのは明白だった。してやったりと言う笑みが口元に僅かに滲んでいる。表情に乏しいと評されがちな隠し刀だが、諭吉はだんだんと彼の微細な変化を感じ取れるようになっていた。それがいつからかはわからないが、ただ彼の人間味に触れる度に、もっと知りたくなることだけは確かである。
「ゆっくり休むと良い。この部屋はな、湯屋の厚意で貸し切ったんだ」
「……わかっていてやりましたね?」
「さあ」
もちろん自分が湯に逆上せて倒れたことが一番の原因であるとは理解している。湯屋の二階は、通常囲碁将棋やら茶菓子を楽しむ娯楽の場だ。かつて、幕府から禁じられるまではちょっとした遊郭として部屋貸をしていた時代さえある。この湯屋もまた往年の面影を残しているのか、一角が完全な密室になるよう作られているらしい。要するに、休みをダラダラと二人っきりで過ごせると言うわけで――急に相手の熱を感じとって諭吉は頬を染めた。
男はもちろん浴衣一枚であるし、自分は下着をつけたところまで覚えている通り、下着に緩く浴衣を着た状態である。浴衣は湯屋がこれまた厚意で貸してくれたのだろう。柔らかな綿麻の感触が冷たさを帯びて心地良い。心地良いと言えば、自分が湯に逆上せた原因を思い出し、諭吉はむうと渋面を作った。二人は背中を流し合っていた。自分は上手にやれたし、彼もまた丁寧な手捌きで自分に触れてくれたように思う。
だがその丁寧さが問題だ。たかだか背中、ほんの少しの間洗われていただけで諭吉は法悦に近いふわふわとした気持ちに飲み込まれてしまったのである。あれは魔性の手技としか言いようがない。あんな気持ちを一度味わったらば、風呂に入る度物足りなさを覚えてしまう。否、あれはなんだか別種の気持ち良さを孕んでいたというべきか。僅かな身じろぎで下半身の状態を確認する限り、自分自身同様に弛緩しているらしく、諭吉はほっと胸を撫で下ろした。
「僕の背中にいったい何をしたんです」
「悦くなかったか?」
昇天するかと思った、と吐露するのはどうにも悔しい。あんな真似、自分では絶対にできやしない。この男の過去歴がなんであれ、その道の専門家でもなかなか成し得ない技を持っていることだけは確かだ。仕方なしに首を振るだけに留めると、隠し刀は目を細めて諭吉の腕をするするとなぞった。触れられた端からエレキテルが走ったかのように痺れ、尖っていた気持ちがぐずぐずに溶けてゆく。恐ろしい!
「お前が悦くなるように、洗った。ああ、他の部分はお前が自分で洗ったぞ?背中を支えてやりはしたが」
「な」
「するまでは、楽しみを取っておきたかった」
する、が何を意味するかは明白で、またも諭吉の体はカッと熱くなる。今日しようと、交合を持ちかけたのは自分だ。しかも久方ぶりに完璧に自由な時間が互いに持てている。状況は完璧だった。
「僕は布団の上が良いです」
「もちろんだ」
男は立ち上がって、開け放していた障子戸を閉じた。相変わらず、彼が触れるものは音がしない。まるで音を食い殺しているかのようだ。だんだんと活気付いてゆく街の賑わいが切り離される。これからなすことへの期待と不安を抱えながら、諭吉は立てかけられていた古い屏風の裏へと回った。存外清潔な夏布団が敷かれ、枕が二つ、仲良く並んでいる。惚れ惚れするほど至れり尽くせりだった。
恋仲になるのは、何も彼が初めてではない。恐らく相手だってそうだろう。だが、彼との全てが新鮮で初めてで、好奇心と抑えきれない情欲がどんどんと膨れ上がってしまう。布団の上でぎゅっと正座して待つと、隠し刀はやけに時間をかけてゆっくりと近づき、ぴたりと正面に腰を下ろした。気恥ずかしさが居た堪れず、とん、とぶつかり合う膝に目を落とす。膝の上に置いた自分の手がかすかに震えているのが妙に可笑しかった。
「諭吉」
呼びかけるような男の声に釣られるようにして顔を上げると、凪いだ海のように穏やかな表情と向き合う事となる。顔に心が文字で書かれたならば、きっとそれは『愛しい』と綴られているような気がした。ゆるりと体から力が抜け、諭吉は自分から彼に口付けた。花を愛でる人は、時にその花弁に口付けるという。今の諭吉の衝動は似たようなもので、優しく何度も啄むような口付けを交わした。くすぐったさに時折笑い声が混じってしまうのだが、それがまた胸の内を暖かくさせる。ああ、すっかり逆上せているなと諭吉の理性は揶揄した。そうとも、自分はずっと彼といる全てに逆上せて、半ば客観視しつつも楽しんでいるのだ。
口付けはだんだんと深くなり、笑っていた口は奥の奥までこじ開けられた。男の舌は肉厚で短い――故に英語の発音でちょっとした困難があったことが思い出される。それが小器用に動いて吸い付いてくる。ぼうっとしてしまうのは、彼の中をこじ開けてやろうと夢中になっているためか、あるいは呼吸が難しくなっているためか、もうわからなかった。ふうふうと息を吐きながら離れても、貝が片割れを引き剥がされたような辛さを覚える。つうっと二人の唇の間に銀糸が流れたのがやけに綺麗だ。
もっと、と動こうとした諭吉を、男の手がやんわりと押し留める。何故?こんなにも心地が良いのに。それとも、彼の欲望は演技だろうか。恨めしさが顔に出ていたのだろう、隠し刀は違うんだ、と両手繋ぎをした。ゴツゴツとした、力仕事や人殺しを行う手が、負けず劣らず男らしい自分の手と絡むと心が落ち着く。同じ手でも、他の人間ではきっと不安になるだろう。
「私はお前と恋をしているから……その、なし崩しにはしたくないんだ。諭吉はどちらが良い?私はお前が相手なら、どちらでも気持ちが良いと思う」
「ふふ」
「おい、真面目な話だぞ」
珍しく饒舌になった男は、これまで誰としようとも心地良くなったことはないのだと衝撃的な発言をしてのけた。その上で、諭吉相手であればどちらも幸福だ、などと宣う。いじましく、健気で可愛らしい。背中を流しただけでも、彼の手腕は想像されるというのに、けじめをつけようとしてくれる彼の誠意が嬉しかった。米国領事を脅して無理やり休暇をもぎ取るような真似をする男が!
「そうですね、大事な話です」
大変贅沢な悩みだ。彼を組み敷いた人間(一体どういう経緯によるものか想像することはやめた)に嫉妬し、上書きをしたいという気持ちは重々ある。だが、あんなに気持ちが良いことを教えられて、その先はどうなってしまうかということには大層興味が惹かれる。第一、諭吉は全くの未開拓であった。初めてというものが今後あるかは不明であるものの、初めてが彼ならば自分だって幸福だと思う。心は、決まった。
「……あなたに抱かれてみたいと、そう、思います」
言いながらだんだんと気恥ずかしくなって縮こまりそうになるが、今度は男が許してはくれない。喜色を浮かべた瞳が諭吉を縫い止めて、柔らかく布団に横たわらせた。後頭部を手で支えるだなんて、壊れ物になった気分でふわふわする。思えば、彼は多くの初めてを諭吉にもたらした――そして今も。彼との日々は冒険と発見の連続だ、どうにも飽きがこない。
「ありがとう」
隠し刀の声は泣いているようだった。
自分は恵まれている、と隠し刀は感動すら覚えて諭吉の返答を聞いていた。理性的に振る舞って感心させたかと思えば、居合術の如く突如として切り込んで心を奪ってゆく。彼はいつもそうだ。真正面から人を愛することを、些細なことが愛しく思えることを、どうやったらば応えられるかと悩むことを人でなしに教えてくれる。周囲の人間が自分について、出会った頃よりも人間らしさが増したと表現することがあるが、その半分程度は諭吉との間で培ってきたものだ。
大事にしたい。ただ心地良くさせて意識不明にさせるのは余りにも勿体無い。同じ時間をじっくりと味わいたいと、交合の過程を重視したのは生まれて初めてだった。彼とならば、どちらの役割だって楽しい。素直に伝えたらば、諭吉は初めてをくれるのだという。躊躇した時間は本当に僅かで、彼の周囲にパッパッ、とエレキテルが瞬いたような気がした。こんな相手に巡り会えたのは天恵だ。
押し倒した諭吉の顔中を口付けて、ほくろに吸い付くと抗議するように袖を引っ張られる。確かめるなら今だろうに。耳の形を確かめて、首筋を喰んで、彼の体全てを知り尽くしたい。本当は足先まで舐めしゃぶりたいところだが、最初から飛ばしすぎると引かれるぞ、というどこぞの手練れの忠告を思い浮かべて止まる。帯を緩めるのが億劫だ。
風呂から上がって時間も経ち、体は冷えていたはずだが、再び汗が滴るほどに熱を取り戻していた。時折、下着越しに彼の陰茎を弄ると、ようよう硬さを増してゆくことがわかって心の中で快哉を上げる。普段から少しずつ触れ合う機会を増やしていた成果か、太ももを撫でただけで身じろぎする様は大層嬉しかった。彼も負けてはいられないと思うのか、こちらの帯を完全に解き放ってくれたものだから、自分は全てを相手に晒した状態である。男の裸に萎えるどころか、諭吉の瞳に興奮を見てとって隠し刀は微笑んだ。大丈夫。きっと大丈夫だろう。
「下着を脱がせても良いか?」
「今更訊かないでください」
するんですよ、と愛しい人が睨む。前後不覚にさせずに行為を続けると、時に躓きがあるらしい。興醒めさせたらばことだと、へそ周りを入念に指でさすって宥めた。ここに自分のものがいつか入る。どのあたりまでだろう?へその周囲は皮膚が薄いので、彼の中身に触れているような錯覚を抱いた。ん、だの、ぁ、だの、喃語が耳に心地よい。
協力も得て下着を取り去ると、しっとりと濡れた情欲を目の当たりにして、心臓がどっどと早鐘を打った。体を洗う際には可能な限り見ないようにしていたため、記憶に焼き付けるには至っていなかったのだ。他人のものをそういくつも観察したわけではないものの、成人男性として十二分に育っていることはよくわかる。そっと握って形を確かめていると、諭吉の足が乱暴に背を蹴った。
「痛っ」
「あんまりじっと見ないで、ゃっ」
「ん、悪かった」
狙って鈴口をぐりぐりと虐めると、凶暴な足が力を失う。一層相手に覆い被さるように姿勢を変えると、隠し刀は己のものと相手のものとを寄せて擦った。
「手伝ってくれるか?」
「ええ」
返事が短かったのは、口を開いた端から言葉が意味を失ってしまうためだ。可愛い可愛いと口付けて、拙い手つきが二人一緒に楽しもうとするのを促す。刺激は緩やかだが、腹がどん、と重たくなるほどに心地が良い。反応する場所があちこちに散らばって目がチカチカした。これはいけない。理性を手放しかけそうになるのをぐっと堪えて、諭吉の首筋に噛み付くと、びゅるりと腹の間に体液が噴き出した。
気持ち良いか、と聞いてみたかったが、聞くだけ野暮だと今度こそ呆れられるだろう。代わりに、どちらともつかぬ体液を擦り込むように体を滑らせてやった。諭吉はしばしぼうっと法悦に耽っていたようだが、にちゃにちゃとした音の中で覚醒したらしい。遊ばないでください、とまたぞろ元気になった足で背中を蹴られ、隠し刀は堪えきれずくすくすと笑い声を漏らした。
「いい脚だな」
捕まえて太ももを撫でたらばもう片方の足で蹴られたものの、全く気にならない。寧ろ、動く様子が見えて何よりだ。道場で向き合う度に、綺麗な足捌きだと思っていたものだが、これほど見事な筋肉のつきようであれば納得もいく。袴の下はどうなっているものかを邪な思いを交えつつ想像していたことを伝えたらば嫌がられるだろう。
余計な口をきく前に、枕元に用意していた通和散の包みを摘んで開いた。ぱりりとした乾いた音が気になったのか、諭吉の攻撃が大人しくなる。すかさず数枚の紙片を見せると、流石の彼にもわかったようでぼん、と音が出そうなほどに耳まで顔を真っ赤に染めた。
「今日は入れるところまでは無理だ。だから、やれるところまで一緒に楽しもう」
「これが、通和散ですね。目にするのは初めてですが、なかなかの極上品のようです。材料は……あっ、違いますよ!僕は別にその、」
「いや、お前はそれで良い」
理性と情欲を行ったり来たりできるのもまた、諭吉らしさである。作り方は使った後に調べよう、と彼の口元に一枚突きつけると、情人はむぐむぐと唇を蠢かして応じた。
好いた相手といつか懇ろになる、懇ろになりたいと想像を巡らせるようになってから、諭吉は当然の如く己の向上心を働かせた。男女のことは学ぶ機会は野放図に転がっているものだが(後年米国に渡った際、母国の様々なおおらかさは悩ましくなった)、流石に同性同士となると進んで学ばねば得られない。身体機能が本来の用途とは違った形で活用されるのだから、いらぬ思い出は避けたいものである。
どうすれば心地良くなれるか、は基本的に人体という意味で男女共通の部分は多いが、いざ自分が一つ一つの感覚を追うとなるととんでもない衝撃があった。隠し刀は丹念に自分の体を征服するべくあらゆる場所を喰み、舐め、吸い、あまつさえ噛んでくるものだから、さながら自分が食べ物にでもなったかのようだ。しかも一々ツボを押さえており、確かに書物の内容に偽りはないと感服することしきりである。早く直接的な刺激が欲しいと、ややもすると彼の体に擦り寄るような動きをしてしまっていたが、果たして通じたものかどうか。
馬鹿馬鹿しくも危ういやり取りを重ねながらも耐えられたのは、彼の全てが自分から見えていたためだろう。我ながら気恥ずかしい喃語や、女性のそれとは異なる艶やかと言えぬ嬌声を耳にしながら、隠し刀の興奮が高まっているのが手に取るようにわかる。想像したものよりもやや逞しい様には怯む一方で、自分がどうなることかという言い表せない期待がむくむくと胸の中で育っていった。
重ね合わせて、手でも触れて、求めて、すこぶる気持ちが良かったには違いない。ぱちぱちと頭の中で泡が弾けて星が舞う。ようやっと呼吸をどうにか落ち着いて出来ようか、と余韻に浸っていたらば、相手は全く余裕綽々で癇に障った。いつか、実地で学んだ分だけ相手にお返ししてやろう。蹴りを入れたらば脚を褒められたので、全く参ってしまった。道理で道場稽古の際に矢鱈と目がうるさかったわけだ。
初めて目にするもので誤魔化された感はあるものの、諭吉はむぐむぐと口を動かして通和散に水分を与えた。物の本には、口に含む程度とある。うっかり咀嚼をすると勿体ないことになるそうだ。確かにほんのりと葛粉らしき甘さがある。子供であればおやつと勘違いしかねない。感触を楽しむことしばし、口にねとりとしたものが溢れてきた。隠し刀が黙って掌を広げてくれたので、遠慮なくそこに吐き出す。何もしていないというのに、どういうわけだか呻き声を上げる男は面白い。
「うまくいきましたか?」
「上出来だ」
口の中が少し粘ついたが、どうにか言葉は通じたらしい。滑りを帯びた男の指先が尻穴に伸び、ゆるゆると入口を弄る。周到な人間らしく、諭吉の気を散じるようにしてあちらこちらを愛撫してくるのだから器用なものだ。とろんとろんと酒に酔った時にも似た、緩い酩酊を引き起こす。腹の奥底が重い。体の奥に自分の欲望が隠されていて、それを引き出されつつあるような感覚だった。
「諭吉、一枚くれ」
「はい」
せびられるままに自分を開こうとするものを男の口に渡す。まな板の上の鯉も真っ青になる行儀の良さだ。だらあ、と男の口から流れ出る粘液がどうにもいやらしかった。指が自分の中に入ってゆく。己でもわからぬ部分が知られ、圧迫感と快感と、ちょっとした理性(学習との照合は大事だ)がぐらぐらと一緒くたに煮込まれていく。このまま最後まで行ってはくれないか?祈るような気持ちは、男の指と共に消え失せた。
「今日はこの辺りまでだな」
「良いんですか?」
失望されたのではないかという不安が理性を呼び覚ます。現金なもので、臨戦状態にあった諭吉の分身もやや力が抜けたようである。隠し刀は慰めるように尻を揉むと、またもくすくすと笑った。どうやらこれはこの男が上機嫌である時の癖らしい。
「次、もある方が私は嬉しい。大丈夫、最後まではしない――が、気持ちくらいは一緒になろう」
腹這いになるようにせがまれ、手伝ってもらいながらだるくなった体を動かす。散々全てを見せておきながら、体を裏返すのは変に恥ずかしかった。それに、相手と体が離れるのは寂しい。二人が遊んだ痕が紙屑となってパラパラと体から落ちていく。積み上げてきた時間も、こんな風に儚く崩れ去るだろうか。
寂しさを見抜くように、隠し刀の手のひらが背中をすりすりと撫でる。背中を流された時のことが自然と思い起こされ、きゅうと喉が鳴った。まだこの先があるだなんて信じられない。促されるままに腕を立たせると、熱がゆるりと尻をなぞり、背筋がぞくぞく震えた。焼けた杭に触れたような心地は中には触れず、眠くなり始めた陰茎に寄り添った。
「そのまましっかり引き締めててくれ」
「ヒッ」
パン、と軽く太ももを叩かれ注意が逸れたと同時ににゅるにゅるとした感触が間を蠢き、諭吉の陰茎を弄ぶ。頭の中の一部は、なるほどこれが素股というものか、とまたひとつ納得していた。確かに二人は一緒で、最後に辿り着く前に最果てを拝んだような心地である。体と体がぶつかり合う音と水音とが入り乱れて、受け止めきれずに目を瞑ったらば余計に感覚が冴えたので諦める。いやらしい、はしたない、だが――悪くはない。
「気持ちが良いって、こういうことなんだな、諭吉」
隠し刀は喃語でなしに愚かなことを言う。他にどう表現すれば良いのか、あるのであれば教えて欲しかった。全身が嬉しいと叫んでいる。そうですね、か、自分もですよ、か、いい、だとかそんなことを言った気もするが、もう諭吉は意識が薄れていた。多分、それが最適解だったのだろう。覚えていたらば、きっと恥ずかしくて正気ではいられまい。
大悦至極にございます。出すものを出してぐずぐずになった諭吉の顔を見ながら、隠し刀は先日学んだ言葉を思い出していた。大きな悦びと書くそれは、隠語では男色を意味するという。そうでなくとも、情人の様子にはうってつけの表現だった。同意と合意の上で耽溺した理性の人は、まだ余韻に浸っているようで、時折びくりと体を震わせる。見ていると、またぞろ触れたいという気になりそうで恐ろしい。
顔には表れないかもしれないが、自分だって大悦至極なのだ。こんな極上の眺めを共に楽しんで、本当に気持ちが良いとは何かを知るのはひどく心が満たされる思いだった。
「また楽しもう」
早くも次が待ち遠しい。制御できない己に苦笑すると、男は遊びの片付けを始めた。
〆.
あとがき>>
理性の人がぐらぐらしているのが好きだな、と思いながら書いていたら存外難攻不落でした。激しい流れも良いですが、お互いを尊重し合うようなゆったりとした水の流れを楽しむのも良いものですね。書き始めた当初はここまで辿り着くのか……?と思っていた関係なのに、諭吉が可愛いから続いたね……
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!