夢の行く先
毎日、夢を見ている。エスゲンは欠伸をしながら、昨日見た夢の名残を思い出そうとして失敗した。大方の夢は儚く、時間が経つにつれて薄れて行ってしまう。それは夢を見る過程や行き先に関係があるのだろう。夜になると魂が星々を抜けて別の世界に行くからだ、とも聞くし、逆に身体の中の深く深くの見えない場所へと彷徨うとも聞く。何れにせよ、昼間の世界にはない場所が無限にはあるのだ。自分から遠くにあるものが薄れることは、なんら不思議ではない。
だが、他の夢はどうだろう。昼間に見る夢、人々が語るそれは遥かに広く開かれた将来という大地に立ち上っている。エスゲンはこの手の夢を見ない。最低限の夢のかけらだけを抱いて昼間を生きている。別段困ることはない。強いて言うならば、他人が夢を語るときに一抹の寂しさを覚えるくらいだろうか。
「夢が叶うように祈るのかい?」
「そうだよ!それに、すごく綺麗だよって冒険者も言ってた。本当はもう少し前の時期にする行事らしいんだけど、エスゲンさんとできるならいつでもいいよね」
いつものように人目を憚りながらのマウシとの逢瀬で手渡されたのは、簡素な灯りのような道具だった。升のような枠に薄い紙が貼られ、台座に炎を設置できるようになっている。聞けば、冒険者が手作りをしてくれたらしい。エスゲンさんの分は俺が作ったんだよ、と笑うマウシが眩しくて、エスゲンは思わず目をつぶった。
時折、エスゲンはマウシに自分には見えない輝ける将来を見出す。それは若さからでもあるし、自分に対して純粋な敬慕を抱いてくれるからでもあった。正確には敬慕という言葉では足りないような気がするが、今のところエスゲンは知らないふりをしている。自覚をしてしまったら、目の前の僅かな未来すら失いそうで恐ろしい。
さて渡された道具だが、灯りをつけたら叶えたい願いを祈って空へと飛ばすらしい。夜にひっそりと、灯りが立ち上って行くのだ。マウシの説明によれば、外つ国の行事の日には百も千も、数え切れないほどの灯りが空に舞い飛ぶのだという。見たことのない光景を思い浮かべるだけでもうっとりとしそうだ。同時に、そんなにも人々には願いがあるのだと思って空恐ろしくもなる。そのうちのどれ程が叶い、どれ程が諦め、忘れ去られるだろう?
「明日の夜に飛ばすからさ、エスゲンさんも飛ばしてね。時間は……明日の今頃。一緒の時間に飛ばそう」
「ああ。わかったよ」
私には夢が、君のいう叶えたい夢なんか一つもないのだ、とは口が裂けても言えなかった。そんな弱さはオロニル族の人間には相応しくない。窮地に立ち上がってこそがあるべき姿だという考えはエスゲンの意識に染み付いていた。
「あんまり悩まないでね、エスゲンさん。こうあって欲しいな、っていう小さな願い事でも良いって冒険者が言ってたよ。……冒険者は、マメシバが欲しいってお願いしたらしいし」
「マメシバって、あの小さな生き物だよね?なんだか可愛らしいな。うん、そうだね、それくらいで丁度いい気がするよ」
「じゃあ、明日の夜にね。俺が作ったものが上手く飛ぶといいんだけど」
「ふふ、楽しみにしているよ」
最後まで気遣いを忘れないマウシには頭が上がらない。自分の方が年上なのだからしっかりしなくては、とあれこれ気を回しているつもりなのだが、まだまだ甘えている部分があると認めざるを得なかった。甘えることなどもう随分なかったから、というのはずるい言い訳だが、あと少し、あと少しだけど許して欲しい。夢を見ない分だけの僅かな願いに、エスゲンはようやく脳裏に灯りを見出した。
翌晩、エスゲンは星の高さから時間を図り、約束の時間に向けて灯りを組み立て始めた。料理以外にはあまり駆使したことのない手は思うようには動かない。加えて、こうした道具に興味を持つ子供達から隠れて行うのはなかなか骨だった。早く寝なさい、といつまでも遊ぶジェルメたちに声をかけたのは不自然に思われなかったろうか、少々懸念される。
「願い事か」
灯りをつけて、その暖かさに優しさを思い出す。あの暖かさは、自分にもあるだろうか?マウシにも与えられているだろうか?できることならば、この先も気持ちを受け止め、与える幸せな時間を幾度も幾度も味わいたい。頭上に掲げた灯りから手を離すと、魂を与えられた灯りがぐんぐんと星へ向かって駆け上がっていく。エスゲンの夢もまた浮き上がり、夜の夢へと渡るだろう。
「あ」
暗闇の向こう、草原の彼方で灯りが登った。同じ時間、同じ大地で同じことをしていることが無性に嬉しくてたまらない。次に会った時にはこの気持ちを伝えよう、とエスゲンは強く心に決めた。
これも夢だ。灯りではなく、自分にも自分の力で叶えられる夢があるとはなんと祝福されていることだろう。遠くの灯りに手を振って、エスゲンは今夜の夢に向けて支度を始めた。
〆.