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◆相馬莞爾/異説・狂人日記における自身の日記


あるいは全て夢かも知れない。


取りこぼされる記憶のための日記


◆一日目 〜今夜も煮付けは魚だった

 今日という日は良い気分転換になったようだ。十三君からの便りに抱いた希望は、今や曇った思考を隅々まで明々と照らすようである。自分という人間は、何も無為に生きていた訳ではないと示唆されたような気さえした。
 起こりもしないことを思い出し、起きるべきことが起こったかを思い出せない。まるで活動写真がめちゃくちゃにつなぎ合わされたような思考は今日も僕を襲った。されど、この一件が済めば自分は雪のように清らかになることだろう。
 ここのところは、末端の一研究者に過ぎぬ自分にさえも意見を求められて随分悩まされたものだ。以前の日記を振り返り見ても、思い出せはしないが苦悩の痕跡が見受けられる。私宅監置に関して自分として言えるのは、本人にとって幸せになれる条件が整わねば、どこにいても劣悪な”私宅監置(大概はそうだ、認めよう)”に住み暮らすも同じである。
脳病院のベッドも、狭苦しい奥座敷も、常人のふりをして過ごす街中も似たり寄ったりのように思う。十三君に会い、悪化の一途をたどる彼を前にし、住み心地の良い彼の家を再び訪問することで、この思いは益々強まった。

 十三君は何故かくも自分を高揚させるのだろう。彼が何か名状し難い可能性を感じさせてくれることは確かだ。久方ぶりに会った十三君の指が欠けていた瞬間、自分の中を過った思いは医者らしい、あるいは旧知の人間らしい心配であったが、この胸は別種のことで早鐘を打っていたと言わざるを得ない。彼は兄に指を食われたのだと言う。突拍子はないが、あり得ない話ではない。実際指はなくなっているのだから、彼の話には一理も二理も散りばめられているに違いないのだ。
 何より、彼が入っている脳病院は先進的で開放的な環境であるにも関わらず、十三君が悪化の様子を見せているのは解せない。十三君は何か特別な薬を与えられているらしい。真崎医師は認めなかったが、自分が与えたのではないものを十三君が与えられたのは確かだ。
 先進的な手法を行うのであれば、効果の程は他の医療従事者に開示されて然るべきである。多くの人を救えれば、幸せになれる人間を幸せにできればなんと良いことだろう。非協力的な態度は実に疑わしい。
 手応えがないまま、その足で妹尾家を往訪した。文恒さんは以前に会った時と変わらぬ様子である。むしろいくらか肩の荷が降りた向きがあった。彼自身から得られたものは少ないが、十三君の部屋を久々に訪れたことは大きい。あそこに座って彼と話したのだ、心やすく口を利いてもらうまでには時間がかかった、などといくつもの記憶が頭をよぎった。それと同時に――(記述はぐちゃぐちゃに潰されている)
 文恒さんは何かを隠している。本草綱目のあの分厚い、どっしりとした書の頁を捲るたびに頭の中を父がちらついて仕方がなかった。科学では割り切れぬ、何をどうして治そうとし、治るのかが納得のいかぬ分野の話で、文恒さんは興味を強く抱いているらしい。何が彼を惹きつけるのかはわからぬが、彼が人体を活用した治療法に執心していることは知れた。

 今や、十三君が散りばめた謎と彼が自分に伝えたいと言う『真実』は、解き明かすことで幸福になれるという啓示を授けてくれたと言える。文恒さんの公認を得たのは我ながらうまくやったものだ。彼が、もし彼がもっと不幸であれば良かったと思う。あるいは彼がもっと幸福を希求し、自分を魅了してくれたらばと願う。現実は味もそっけもないもので、彼は一人で立てる状態だ。やはり十三君こそが自分の希望となるだろう。
 十三君の残した持ち物のうち、骨には心臓がはち切れんばかりに動き、全身がざわめいた。あの骨は十三君のものではないだろうか?やはり誰かあれを食み、治療に至ったのではないか。文恒さんの手を何度も間近で観察したにも関わらず、痕跡が見受けられなかったのは残念である。やはり相馬の家で聞いた同物同治は戯言か、あるいは本物なのか、それもこれからわかることだろう。

 今晩大家さんが出してくれた食事は、昨日に引き続き何かの魚の煮付けである。自分は魚のことは細かくはわからない。肉も四つ足か二本足かくらいにしかわからないが、今日は骨がついていたのでここに記す。机の上に十三君の骨(と仮に呼ぶとしよう)と、魚の背骨をそっと並べる。どちらも骨だがまるで異なる。医学を志したばかりの頃のような気持ちで、そっと靴下を脱いで右足の小指があるべき場所に十三君の骨を添えた。
 不思議と充足したように思うのは、現実かもわからない。この骨に似たものを、自分はどこかで見たことがあるような気さえする。守り袋を握り、安心しながらふと、中身はなんだろうかと思い回らせてやめた。守り袋の中身を見ると効力を失うとも聞く。母の加護を容易く失うわけにはいかない。ただ、この疑念は大事なことのように思うのでここに記す次第である。

 きっと自分は、ここに書いたことも忘れてしまうだろう。近頃はなんでもすぐに忘れてしまう。それとも忘れたつもりで、本当に何も起こらなかったのかも知れない。ともかく、次の休みには十三君に会いに行こう。彼が懸念していたように、死ぬような――そればかりは馬鹿げた妄想だと思いたい――ことが起こらないことを祈るばかりだ。

 明日はせめて焼き魚が良い。煮付けにはもう飽きた。


◆二日目 〜げに唾棄すべきはソーライス哉

 今日という日は、起きなければよかったと意気地のないことを思わずにはいられぬ日であった。自身の好奇心が招いたことだと承知していながらも、矢張り成り行きとでも言うべきものを呪わしく思う。ただ幸せになることは何故かくも難しいことなのだろうか?巷に蔓延る輩が(この先は黒く塗りつぶされている)
 何もかもが明瞭で、脳にこびりついて離れない。大概のことは数日もすれば忘れてスッキリするものだが、忘れられないような嫌な予感がするのだ。今夜は白い雪が必要だ。医者としても、自身の状態が不安定であると診断せざるを得ない。
 あんな、あんな――

 昨日は早朝から脱走した患者を門前でなんとか捕まえて戻し、死に物狂いでもがく相手を寝かしつけるなどした。相変わらずはかばかしくはなく、自身の医者としての在り方には不安を抱く。ただただ疲れるばかりである。同僚のYは学生時代からの知己だが、彼は至って元気そうに、楽しそうでさえもある。今日捕まえた患者は彼の担当で、どうするのかと問えば、「何、どうとでもなるさ」とニヤニヤと笑って気持ちが悪かった。
 Yに関しては、あまりよくない噂を耳にしている。学生の頃にも何か聞いたように思うが、気のせいかもしれない。だが今必要な話でもないだろう。昼食を一緒にとらないかと請われたが、一刻も早く十三君に会いたかったので断った。大阪で流行りのソーライスなるものを食べに行くのにとしつこいが、無視を決め込んだ。なんだかよくわからないものだが、Yのことだからろくでもないに違いない。

 十三君と別れて以来、どうにも時間が経つことがもどかしくてならなかった。本来ならば、休みをとってでも朝から駆けつけたかったところである。自由にならぬ身が忌まわしい。面会に出かけたところ、十三君は昨日と変わらぬ嬉しそうな様子で安堵した。上機嫌であるがためか、これまで聞いたことない、彼の思い出話を語らってくれた。
 自分は患者がなんであろうが気にはしない。人であろうが、犬であろうが、本当は鬼であろうがどうだって良いのだ。何よりも十三君の口から流れ出た話は、嫌なものと繋がっているように思うので考えるべきではない。大事なのは彼が幸福になることだけである。彼が望むのであれば、謎解きの続きは幸福へと続く黄金の道と言えよう。

 数少ない手がかりをもとに、久方ぶりに底濱へと足を運んだ。十三君は倶楽部213なる場所をよく利用していたという。倶楽部やカフェーにはいっかな縁のないため、探し出すにはひどく時間がかかった。繁華街はどうにも苦手だ。ガチャガチャと情報がひしめきあって押しつぶしてこようとする。世の中には、あんなに音も色も不要だ。真っ白な雪が降り積もるように静かで、何もない世界が一番安全で安心できる。雪が好きな母は、雪を手にした時にようやっと安らかになれたようだった。あの時は息子としても嬉しく、心の底から母の言いつけ通りの笑顔を浮かべられたと思う。
 だが、倶楽部213は――果たせるかな、雪原からは程遠い場所であった。人と人とが密接に寄り添って、小鳥のように料理を突くなどしている。『会員制』とあったので、すんなりと手がかりを得られるとは思わなかったが、まさかこれほどまでもおぞましい場所とは思いも寄らなかった。自分が知るカフェーとは様子が違う上に、全てのものの距離が近い。ああ今でも息遣いやら体温やらを思い出しそうになる。銭湯で散々洗ったにも関わらず、気持ち悪さは拭えぬものだ。十三君を幸せにすれば気分も晴れるだろう。自分はやり切らねばならない。
 不愉快な経緯の合間合間に学生の頃のことが脳裏から脳裏から迫り上がって来るようだった。何も起きなかったはずだと言うのに、しきりとせっついて身を震わせる。振り回されずに目を開け続けていた自分は称賛しても良い。ああ、十三君の言うようにもし食人鬼というものが本当に存在するのであれば、きっと生臭い、ここにいる人間たちのような姿であることだろう。
 不快な思いで満ち満ちたものの、その労は十二分に報いられた。十三君の言っていた呉某についてはサッパリであったが、十三君が底?埠頭をうろついていたのだと教えられたのだ。ほど近くに息遣いを感じてゾッとするのもこれきりである。こちらの意向を無視して近づいてくる輩はどうにも苦手だ。自分が欠けていることを、いつか気付かれはすまいかと落ち着かない心地になる。だがこれも十三君を幸福にすれば些事だ。

 海は良い。雪原ほどではないが、まっ平にどこまでも水が広がっている様は、見ているだけで気持ちが良い。十三君と浜辺で活動写真を観たのも懐かしい思い出の一つである。ぬるついた人間たちから抜け出した時には清々しい気分になった。ああいう場所こそ、悪所と呼ぶに相応しい。だが、そんな場所でも好む人間がいるのだから世の中はうまくできている。
 寂しげな埠頭に向かえば、大層親切な男に出会うことができた。この埠頭の灯台守だという。どうにも用心深い人物のようだったが、自分のことを十三君から聞いていたそうで、すんなりと日記の『大事な部分』を渡してくれた。十三君はいつか自分に渡すようにと頼んだらしい。灯台守は、こんなにも親切な人間であるのだから頷ける。
もしかしたらば世間一般には受け入れられぬ立場であるかもしれないが、自分にとっては心根こそが全てだ。彼は満ち足りている。満ち足りているからこそ親切なのだろう。十三君を助けることのできた彼が羨ましい。どうして自分はその場にいなかったのかと妬ましく思ってしまう。彼の真っ直ぐな気持ちは嬉しいにも関わらず、自分は欠けているのでうまく笑うことができなかった。彼はすでに幸福になれるようであり、それもまた口惜しい。どうしたって、自分は欲しいものとは縁遠いらしい。

 十三君の残してくれた日記は、自分を一層困惑させる代物だった。この世は鬼だらけであるらしい。鬼にも鬼の領域があるのだと言えば、なるほど人と同じだろうと思う。鬼だらけであってもなんら不思議では無いのだが、自分はここからどうするべきかと途方に暮れてしまう。訳のわからぬ言葉と相まって目が回りそうだ。
 誰かが認識する世界が、自分の認識するそれとはまるで違うことは先刻承知している。だがこれは余りにも奇妙では無いだろうか。それでいて、自分は十三君の残したものを捨ておけないでいる。彼と自分との辻褄をなんとか合わせて正しく幸福に導きたい。
 十三君は、彼の幸福への縁として彼の亡骸を自分に食べてほしいと願う。確かに人体には薬効があるのだと、彼の兄が持っていた本草綱目にはあった。なるほど食人鬼の発想はこれに根ざしているのだろう。しかしながら自分は欠けているとしても、十三君の死では補えない。
 例えば腕がもげたとしよう。他人の腕を食らったならば、腕が生えるとでもいうのか。実家では同物同治と称して乱暴な施療を良しとしていたが、荒唐無稽で無意味である。もし食らっても補えるのならば、それは本来自分であったものを取り戻した時だろう。十三君は自分ではない。彼は幸福を知ることなく希望を残そうとしているが、それでは意味がない。自分の望むのは、彼が生きながらにして幸福を得ることである。

 不運は銭湯に入り、ざぶざぶと耳の中まで洗い流しても尚付き纏ってきた。今夜大家さんが出してくれたのは、あのソーライスである。なんでもYがわざわざ食べた後、その足でもって大家さんに教えてくれたのだそうだ。先進的なものを取り入れたがる大家さんが、手軽にできるものだと知って喜んで飛びついたのは言うまでもない。Yが近隣に住んでいることが腹立たしい。あれは親切でもなんでもなく迷惑な男だ。
 ソーライスは、真っ白な米になみなみとソースをかけ、福神漬けと何やら漬物類を添えた、料理とも呼べぬものである。大阪の連中は何度もおかわりをして食べるのだと大家さんは自慢げに言う。残すことは許されない。あの倶楽部で残したツケが回ったのだろうか。

 ソーライスの上に、雪を振りかける。ソースの味わいがほんのりと苦くなり、そうして何もかもがぼやけていった。きっと全てが良くなるだろう。十三君は幸福になる。生きている限り、希望はあるのだ。

 そうでなければ、単に自分に人を見る目がなかったのだと思うより他にないだろう。次はYを蕎麦屋に連れて行こうと思う。彼は人間の食事を知るべきだ。


◆三日目 〜知行合一

 あれから幾日経ったろう。幾日が、幾月が、はたまた幾年過ぎようとも、自分は未だに真偽の程を知れないでいる。長らくつけていた日記を放置し、論文を放逐し、ただただ眼前に広がる惨状にだけ目を向けて過ごしていた。今更のようになって、自分は医者であることを強く意識したように思う。

落ち着いた今、改めて日記に綴りたい。あの日何が起きたのかを、そして自分がどのように満たされたのかを。

 十三君の日記を手にした翌日、幸いにして休みだったので意気揚々と出かけるつもりで勇んでいた。生憎天気は雨である。昨日埠頭で目にした雲は紛れもなく世界を覆おうとしていた。出掛けに大家さんに呼び止められると、文恒さんから電報が届いたというので驚いた。むしろ、これから会うつもりでさえいたのだ。
 虫の知らせとはこのことで、已んぬる哉、それは十三君の死亡、それもよりにもよって縊死であるという知らせだった。俄に眼前が暗くなったのは無理からぬ話である。自分が考えるに――やはり幸福とは、生きてこそのものなのだ。死んでなんとしよう。思い返せば、この時自分は希望に続く方向性を失ったのだ。

 失意のままに脳病院へと向かったが、こちらは警察が来ててんやわんやの騒ぎであり、どうにも近づける様子ではなかった。仕方なしに妹尾家へと向かい、文恒さんと改めて顔を合わせることとした。彼は深く沈んでいるようだった。顔は暗く、さながら一番沈んでいた頃の十三君にも似ている。この時ばかりは、文恒さんを幸福にする手伝いを申し出ようとさえ思った。
 確かに難事に見舞われたものの、彼は生きているのだから大丈夫である。生きて諦めず求めるのであれば、それを助けるのが医師というものだろう。とは言え残念ながら文恒さんは自分の患者ではない。おまけに死んだ十三君の正気を最後まで疑っていたとは現実逃避である。
――と、当時はそのように思っていた。今となれば、文恒さんもまた十二分に気が違っていた。ただ、至って明朗に満ちてはいたのだ。自分の手など必要のなかったことは明白である。

 人が死ねば次は葬儀だ。全く生きるということは忙しい。『葬儀』。それに勤しむ『兄』。並び立てれば重苦しいありえない記憶が自分を苛む。自分の母は存命であり、実家で元気に暮らしている。そして兄など存在しないのだと、この時は明確に否定をすることができた。今はどちらも怖くて確かめきれずにいる。確かめたところで、結局本当のことなどわかるまい。

 文恒さんが留守をした間、長らく気にしていた本草綱目を探すべく、許されぬと知りながらも妹尾邸を捜索した。果たせるかな、かの本よりも一層興味深いものを見つけることができたのである。文恒さんの日記だ。曰く――十三君は食人鬼である。それも、人をわざわざ殺してまで食べていたのだと言う。弟が弟ならば、兄も兄だ。こうなってくれば誰もが食人鬼であると言う十三君の物言いは正気の沙汰と信じたくなってしまう。実際そうであるのかも知れない。そうでなかったかも知れない。自分はこればかりは未だにわからないままだ。
 多分にやぶれかぶれになっていたのだろう、自分は異臭を辿るままに十三君の部屋に踏み入っていた。驚いたことに、彼の部屋の真ん中は乱暴に床板が剥がされ、土がむき出しになっている。窪みの様子はわからないので降りてみたが、何もわからなかった。
目が悪いからか、それとも本当は白昼夢だったのかは謎である。何故ならば、この後の記憶がふつりと途切れており、丸切り空白になっているのだ。

 自分は至ってごく普通の日常を過ごしていたらしい。書きかけの論文が目に入ったところで視界の焦点がようやく合ったような具合だった。大家さんに呼び止められ、再び文恒さんからの電報を受け取る。今度は彼が口にしていた通り、葬儀の案内である。
 念の為脳病院に足を運ぶも、そっけない休診中との札がぶるさがるばかりだった。ここは本当に病院なのか、甚だ疑わしい。十三君の弁を乱雑に当て嵌めれば、養豚場のように人を養う場所であってもおかしくはない。どこもかしこも檻だらけだ。
 葬儀場に向かうと、文恒さんは自分を暖かく迎え入れてくれた。あの日、記憶を失った日の粗相は許されたということだろうか。焼き場に赴き、請われるままに骨上げを行う。毎度ながら、どうして人は箸なんぞで骨を取り合うのだろう。いつぞや見た異邦人の旅行記で、我が国の民は人を食うのだとあったが、そう見えたところで不思議でもなんでもない。小さい骨たち。十三君はすっかり小さくなってしまった。
 ドロドロに溶けたような頭蓋骨は、まるでカエルのように潰れていて、実家の父の書斎にあった無頭児のホルマリン漬けを思い出させた。とても小さな欠陥品――シャリ、カサ、ガサ、という骨の乾いた音はだんだんと大きくなってゆく。

 ここから先は丸切り戯言である。文恒さんは十三君が人を食っていたのだと、あの日記に書かれた内容をそのまま囁いて来た。歯がどうとか、こうとか。彼の言葉につられるようにして、自分の胸元に下げた守り袋の存在を改めて意識するに至った。自分には――自分には兄がいた。慶一は母に愛された子である。そうではなく、自分こそが母に愛された証が詰まっているのだと思いたかった。守り袋の中身は母の歯が入っていると、この時ははっきりとわかっていた。だがこれは本当なのか、自分が本当にそう思えたものか……

 そうこうするうちに周囲の様子は変わり、参列者たちは盛んに十三君の亡骸を貪っていた。彼は小さくなってしまっていたから、本当のところは別人のものも混ざっていたかも知れない。鬼の食卓に並べるには少なかろう。箸を手にしていた文恒さんは、自分にも食えと迫り来る。彼の顔は引きつれて、兎口のように唇が裂けたかと思うと見る間に恐ろしい形相へと打って変わった。
 十三君も、自分にその亡骸を食べてほしいと願っていた。だがそれが自分にとって何になろう。腕を食えば腕が生えるのか?そんなものよりも、食べるのであれば自分の身となりうるものの方が良い。自分は人体の薬効など到底信じえない。だが、身の内を取り込めば自分の欠けた部分は埋まるように思う。そうあれかしと願う。

 よって、自分は守り袋の中身と十三君の骨とのすり替えを行い、小さな骨を口にした。もうわかっていた、これは歯などではない。小さな幼児の足の骨だ。失われてしまった自分の指、兄によってしか補えない欠片。かくて自分は兄と一つになり、母の完璧な子となれたのである。今の自分であれば、母は真正面から愛してくれるはずだ。そうだというのに、実家に行く気はチラとも起きない。
 周囲の人間が自分に向ける興味を失い、ご馳走に夢中になっている間に逃げ去った。それからも何かあるのではと世間を注意深く見ていたものだが、関東大震災が起きて全てどうでも良くなった。東京にあった自分の勤めていた脳病院はもちろん、池田脳病院も妹尾邸も、底濱全体が沈み切って倒れ伏した。今は何もかもが新しいものに変わってしまって面影さえない。

 ああした日は、少しは現実であったろうかと思う。自分の胸元には、今や新しい守り袋が下げられている。新しい大家に作ってもらった、新しい守り袋だ。やはり新しい酒には新しい革袋が合うだろう。中には乾いた骨があり、しっかりとした感触を返してくれる。

守り袋には『十三』の名を記した。次はきっと幸福にできるだろう。